こちらはサークル「がんかたうるふ」のうずみとみっしの二人組が、ラッキードッグ1とばさらのこばなしを黙々と投下する場所です。
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書き上げましたので、再アップ。
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忍びとしての猿飛佐助の人生の中で、主に対して不敬と周囲に判断される行為は山のように行ってきた。
主を叱りつけるのは当たり前、主の友人であろうが同盟国の大将であろうが関係無しに普通に話しかけ、一緒に食事を楽しむ。他の国の忍びから見れば、全く忍んでいない上に小言の多いだけの小間使いにしか見えないのだろうが。
真実の己を隠して、周囲に決してそれを悟らせない。
佐助自信はそれが優秀な忍びのあるべき姿だということがわかっていたし、主である幸村や武田信玄にも言動について咎められたことは一度もなかった。特に信玄は幸村の教育を佐助に一部託していたような所もあり、幸村が問題を起こすと必ず佐助に解決を手伝わせたものだ。
どれだけ優秀であろうとも、普通は忍びに自らの後継者を任せるわけがない。
武田信玄の人としての器の大きさに感服し、それを受け継いだかのような幸村の天衣無縫ぶりに手を焼かされ。佐助はその日々を、忍びとしてではなく一人の人間として楽しんでいた気がする。
自分は信玄の望み通りに動けたのか。
ほぼ昏睡状態となっている信玄にそれを聞くことはできないが、幸村は佐助の事を誰よりも信頼してくれている。そして佐助もその思いを裏切らないために、力を尽くしてきたつもりだった。
主だから幸村を裏切りたくないのではなく、彼を悲しませたくない。
幸村は純粋に己の思う道を突き進んでいけばいい。自分は彼の心を汚さないために存在しているのだ。そう自認していたというのに、自分は幸村に何も言わずにこんなところで何をしているのだろうか。
己を出さぬのが忍びではなかったのか。
そう何度も自問したが、佐助が出した答えは結局変わりはしなかった。
「これが家康に預かった文。中身は……」
「言わなくてもわかるよ。どうせまた石田の大将に会いたいんでしょ」
「それだけじゃなくて、黒田官兵衛抜きで……って家康は言ってた。それから家康からの伝言……三成と二人きりで話をしたいから、佐助に是非力を貸して欲しいってさ」
「あのね、俺様の今の立場わかってる? 俺様はあんたの敵だし、徳川の大将をやっつけるのが目標!」
「家康は和解はできると思ってる、そして俺も……佐助とは戦いたくないからね」
「また馬鹿なこと言って……さっさと可愛い嫁でももらって、周りに人たちを安心させてやんなよ……」
質素な宿の中には暑い空気がこもっていた。案内された部屋の中をぐるりと見回し、最初に佐助が要求したことは街道に面した窓を開けること。そうすれば外の様子を伺いやすくなるし、こちらの会話を相手が聞きやすくなる。
目の前で足を崩して微笑む慶次の手には、厳重に封をされた紙の束。三つ葵の家紋が梳きこんである紙など使うのは、徳川家だけ。
あの中には家康の三成への思いが書き連ねられている。
慶次から佐助に連絡を取る時は、大抵宿場町の入り口に目印を置いておくのが常。それが指し示す方向に慶次がいることを知っているので、佐助は彼に簡単に会うことができていた。それが目に留まれば会うことができるし、そうでなければまた次の機会を待つ。二人の関係はそんな互いを縛り付けることのない軽さによってなりたっていたのだが。
今回家康は相当焦っていたのだろう。
慶次にどんな手を使ってでもすぐにこの手紙を届けて欲しいと頼み、そして慶次は佐助の目につくように様々な宿場町に目印を撒いたのだ。豪快なように見せかけて繊細で慎重な部分を持つ慶次がそのようなことをした、それは佐助にとって驚きだったが彼の性格を考えれば無理はない。
心寄せ合う二人が結ばれないのはおかしい。
慶次はその考え故に家康の嘆きを止めようとしたのだろうが、時期が悪すぎた。先日の家康と三成の再会は、官兵衛にとって芳しくない成果しか生み出さなかった。今後は大谷吉継の追及も厳しくなるので、無理に徳川方に連絡を取らなくてもいい。
いや、絶対にしないでくれ。
佐助だけではなく、甲斐の民たちのことも考えての発言。それを聞いてこの男に協力して良かったとあの時は思ったが。今の自分は、自分は官兵衛に止められた一番してはならない選択肢を選んでしまっている。
あんなに目立つ形で目印を撒けば、必ず誰かに気がつかれる。そしてそれは他国の情報を欲しがっている忍びたちにとっては好機。確実にそれは見つけられ、そしてそれぞれお主の元へ届けられたであろう。
夜だというのに佐助の耳には異常な人数の足音が届く。
忍びではない慶次の耳には届いて否用であったが、それはこの宿が包囲され始めている証拠。
「…………佐助、どうかしたかい?」
「あんたの不用心さに腹を立ててた所」
「でも家康は一刻も早くこれを渡して欲しいって言ってたからね」
「そっちには馬鹿しかいないってのがよくわかったよ」
大げさにため息をつき少し癖のある髪の毛に手をやり、耳は必死に周囲の様子を探る。
宿の周辺に潜伏しているのは数十人の兵、おまけに人がわずかに動く度に打ち合わされる金属の音は刃や鎧だけではない。開け放った窓から流れてくる空気に混ざっているのは、火薬に火を付けるための火種の匂い。
徳川家康が佐助を陥れるためにこのようなことを行うわけがない。あの青年は正々堂々と戦いを行うことすら躊躇うのだ、慶次を騙して佐助をおびき寄せるような事は絶対にしない。
ならば自分たちを追い込もうとしているのはただ一人。
人生でただ一度、主君の命を受けずに動いてみたらこの結果。
慶次が自分に会うために各地に目印を置き続けている、それを知ったら自分を止めることができなかった。幸村を窮地に追い込むかもしれない、世話になった甲斐の民たちを苦しめることになるのでは。そんなことなんて考える余裕すら失っていた自分は馬鹿だった、しかし何故か後悔はわずかも湧いてこないのだ。
考えることは、慶次を無事にここから脱出させる事だけ。
その為にはどうすればいいのか、そして幸村に嫌疑を向けられないために自分は今何をしなければならないのか。必死に思考を巡らせ続けるが、願うことはただ一つ。
慶次だけは、何があろうとも生きていて欲しい。
それが甲斐の将たちに力を貸し続けてきた佐助の、唯一の個人的な望みだった。
「………………今日は、ここに泊まってくわけ?」
「俺はそのつもりだけど……佐助はどうする?」
「旦那が待ってるからね、さっさと帰るよ。あんたはここで女でも抱いてゆっくりしてけばいい」
「……何かあった? 俺で避ければ話聞くけど」
「あんたに言うことなんてないよ」
口調がきつくなっているのは自分でもわかる。
だが今佐助の頭の中を巡っているのは、この部屋に踏み入られずに彼を上手く脱出させるかだけ。佐助が逃げれば向こうも忍びを用意しているだろうから、先に慶次の身柄を押さえる。佐助が暴れている隙に慶次を逃がそうとしても、この男は自分を助けるためにやってくるだろう。
その程度には愛されている、それくらいは佐助でもわかる。
愛されているのならば、自分も彼に思いを返さなければいけない。ならば佐助にできることはただ一つだった。
「この手紙……先に読んでもいいかな?」
「石田に渡してくれって俺は言われたんだけど」
「何が書かれているかわからないからね」
そう言いながら無理矢理封を開けると、慶次がおろおろと手を動かし始める。
無理矢理サスケを呼んだようなものなので、止めたい気持ちはあるが実行に移すことができないのだろう。大胆なようで人の気持ちを尊重する、そういうところが愛おしいと思いながら佐助はざざっとであったがしっかりとした字で書かれた文の中身を確認した。
もう一度会いたい、そして和平に向けて話し合いがしたい。
簡潔明瞭に書かれたその内容は、今外で踏み込む機会をうかがっている相手を納得させるには十分だろう。これならば彼らを中に入れずに、慶次を守ることができる。
彼に気付かれぬように大きく息を吸い、胸の中の不安や恐怖を全て押しつぶす。
「一応石田の大将には渡しとくよ…………それじゃあ、俺様はもう行くから」
「酒くらい一緒に飲めないかな」
「それは……そうだね、この戦が終わった後俺様とあんたが生き延びてたら。もし俺様が死んでたら、墓でも作ってそこに酒でもかけてくれればいいよ」
「そんなことさせないよ」
立ち上がりながら軽い口調でそう呟くと、返ってきたのは真剣そのものの慶次の言葉だった。
「俺は佐助が好きだよ。だから佐助を死なせたくない……だから家康に協力するんだ」
膝立ちになり、あの遊び人にこんな目をできるのかと言われそうな程真剣な瞳で。
慶次は佐助を見上げながら必死に言葉を紡ぐ。
「佐助が真田の元を離れないのはわかってる。だけど俺は佐助と戦いたくないんだ……家康と石田が和解して戦わずにすむのなら、それが一番いい」
「もう戦への流れはできあがってる……俺様たちがどうあがいたところで、変わるわけがない」
「変わらないから諦めるなんて、俺にはできない。俺は戦を止めるためなら、どんなことでもするって決めた。そして…………佐助と一緒に生きて行けたらと思ってる」
「…………馬鹿だね、あんたは本当に……」
「だから石田に伝えて欲しいんだ。戦はまだ止められる、だから話し合おうって。場所は俺が用意する……謙信も協力してくれるから……」
「伝えておくよ」
もし佐助が生き延びて三成の前に立つことができたのならば、必ずその言葉を伝えよう。
最後に一度だけ、自分の心を渡してしまった相手を見る。彼の髪を結っているのは、今は幸村に預けている髪紐と同じ物。
姉のような女性の婚礼の時に着た着物で作ったと言っていたが。
自分と佐助は男同士であり、そして互いにあるべき場所が違うのだ。一生共に過ごすことなどできるわけがないし、なによりも。
佐助はこれから死地に赴くのだ。
何気ないふりをよそおって、窓に近づきそっと閉じる。こうすればこれから外で怒ることに慶次は気がつかないはず。
「じゃあ……俺様は帰るよ」
「気をつけて」
「ああ、そうだ。あんたにもらった紐だけどね、うちの旦那に預けてあるから」
「真田に?」
「俺様が持ち歩いて汚れても困るし……もし返して欲しくなったら旦那の所に行ってよ」
「行かないよ、絶対に」
それが佐助の聞いた最後の慶次の声だった。
わざと早足で部屋を出て、できるかぎり慶次と距離を取る。そうしながらも周囲の気配に気を配り、預かった文を再度読み直す。
この手紙の中身なら大丈夫。
そう何度も自分に言い聞かせ、慌てて履き物を履いて外に出た時。
「随分と早い逢い引きよ……甲斐の忍びは敵国の男を好むか……面白き事よ」
「逢い引きだったら良かったんだけどね……その様子だと、俺様が何を持ってるかもお見通しなんでしょ?」
「懐にある物を渡せば……そうよの、この件はぬしの命だけで片を付けてやろう」
「あんたならそう言うと思ったよ」
宿の入り口に面した街道に浮かんでいたのは輿、そしてその上に悠然と座る骨のような体。白い布に包まれた全身を大きめの着物で隠し、肌が傷つくからかゆったりと帯を巻き。
大谷吉継は狂喜の笑みを浮かべ、佐助を見つめていた。
彼の後ろには数名の兵しかいないが、相当数の兵が隠れているはず。ここで大きな声を出せば慶次に気付かれる、そして大谷に刃を向けた瞬間彼は甲斐を敵とみなすだろう。
三成に幸村を斬らせ、兵を殺し。
そして甲斐の民たちの苦鳴を最上の肴として美酒を味わうのだ、この男は。自分の失態で甲斐を、そして幸村を追い込むわけにはいかない。
「約束してもらえるんだろうね、うちの大将……真田幸村と甲斐の安全だけは」
「我は約束を守る……ぬしのように敵と通じてなどおらぬしな」
「なら俺様、降参なんてしちゃおっかな~」
ふざけた口調に大谷が眉をひそめる。
基本的には真面目な大谷をからかうには、わざと汚らしい口調を使ってやるのが一番いい。この男とはとことん気が合わなかったたし互いに嫌いあっているのもわかっていたのだが。
まさかここまで追い込まれるとは。
「ほら、これが望みの物でしょ? あんたの好きに使えばいいよ」
「徳川よりの密書……これは重畳」
ひび割れ色褪せた唇を歪ませ、大谷が低い笑い声を漏らす。
それを合図と見なしたのか街道の脇に隠れていた兵がわき上がるように増えていき、佐助の周囲を囲み始める。この人の動きで確実に慶次は気がついたかもしれないが、上を向けばまだ彼がそこにいることが兵にばれてしまう。
大谷はまだ慶次に利用価値があると判断したのか、慶次について追求してくることはなかった。
ならばこのまま佐助が素直に兵たちに拘束されればいいだけのこと。
普通の縄ではなく細い鎖や太めの革紐などを持って近づいてくる兵たちが縛りやすくなるように、素直に両腕を後ろに回しながら。
願うのは慶次の無事だけだった。
その日は酔いつぶれて客人の部屋でぐうすか寝こけていた三成と幸村を叩き起こし、説教をすることから始まった。佐助がいれば幸村のことを叱ってくれるので楽なのだが、今日は何もかもが違う二人を同時に怒られなければならなかったのだ。
どこに行ったか知らないが、さっさと帰ってこい。
部下に彼の行方を捜させてはいたのだが、優秀な忍びを探すことの難しさを官兵衛はよく知っている。砂丘に落とした小さな豆を探すような難行を命じるのは正直申し訳ないと思ったが、官兵衛が探しに行けば三成の側から離れることになる。
一応甲斐と大阪城の間の街道や、佐助と親しい前田慶次が使うであろう場所に重点的に部下を割り振ってはいたが。
それで見つかるような忍びだったら、佐助は官兵衛に信を置きはしない。
彼が優秀かつ主人に絶対的な忠誠を誓っているからこそ、官兵衛は彼に全てを話し協力を仰いだのだ。このまま戦に突入するにしても、和平に傾いたとしても。三成と幸村の友情は揺らぐことはない、そしてそれは甲斐に恩恵をもたらすはず。
少なくとも官兵衛はそうしてやるつもりだった。
徐々に瀬戸内の将たちに懐き始めている二人を彼らに任せ、官兵衛はその日一日を情報収集に費やすことにした。大谷がいない城は官兵衛にとって宝の山のようなもの。情報という名の何にも代え難い宝を物色し、各地の将たちから届いた大谷への文を片っ端から読みふけり。
大谷吉継が行ってきた汚らしい策の数々を知ることとなったのだ。
隣接し合う領地には不和の種をまき、不作で他国の援助を必要としている土地を飢餓に追い込み。領主ではなく臣下を殺し家臣達の団結を奪い去ってから、凶王の力を見せつける。
仕込みを行えば、後は内部崩壊を待つばかり。
あらゆる国にあらゆる方法で狂った策を仕掛ける、敵ではなく味方にでさえも。こんな相手から三成を救い出さねばならないという難題に頭を悩ませていると、当の大谷が大阪城へと戻ってきたのだ。
大谷帰還の知らせを受け慌てて文書を漁るのをやめ、彼を出迎えるために城の入り口にでたのが間違いだったのかもしれない。
豪奢な馬車に乗って帰ってきた大谷の後ろにいたのは、鎖に繋がれ体中に擦過傷を刻んだ佐助の姿だったのだから。
敵方と通じ、三成へ停戦を持ちかけるつもりだったのよ。
そう言いながらにたりと笑い、佐助を繋ぐ鎖を指で弄んでいた大谷の行動は素早かった。佐助を城の地下にある牢に押し込め、三成と茶を飲んでいた幸村を拘束し。城にいた者たちが事の次第を理解する前に、全てを終わらせてしまったのだ。
勿論、その間半兵衞にも監視が付けられていた。
三成に会うことすら許されず、何が起こったのかを伝えることすらできない。
城内が混乱の極みにある中、官兵衛にできたのは佐助への面会許可を得ることだけだった。幸村や三成を佐助に会わせることはできないが自分ならば、大谷は許可するだろう。
佐助に関しては明日の朝処刑することがもう決まっていた。
処刑される人間を見ながら官兵衛が嘆き苦しむ、それを大谷は期待しているのだ。替え玉を要しようにも、処刑の時間や場所などは大谷の頭の中にあるだけで誰も正確な情報を知らないのだ。すり替えるにはそれ相応の準備が必要なのだが、場所と時間がわからなければその準備すら無駄になる。
次に考えたのは大谷の悪行を周囲に広めることだが、この城の実権を大谷が握っている現状では効果は薄いだろう。三成が大谷を諫める言動をすれば状況は変わるが、友である大谷を陥れることを三成は望まないだろう。
幸村に相談しようも彼は今軟禁されており、そして大谷はきっと幸村に佐助を斬らせるはず。将である幸村が一番の臣下であった佐助を斬れば、甲斐の臣下たちの心は大いに乱れるだろう。自分もいつか幸村に斬られるのではないか、そんな不安を心の植え込めば甲斐の内部はがたがたになる。
大谷の目指す物は天下統一ではなく、絶望と不幸を世界にまき散らすこと。
きっと大谷は、三成の側で爽やかに微笑む幸村を傷つける方法を探していたのだ。そしてそれに一番いい方法が幸村自身に佐助を殺させることだとわかり。
ずっと佐助を捕らえる機会を狙っていた。
今考えれば家康と三成を再開させた時、三成が停戦を選ぶ可能性があるというのに素直にそれを受け入れたのも大谷の策だったのだ。一度徳川との橋渡しを成功させれば、徳川方はまた佐助に連絡を取るはず。
だから佐助にもう動くなと言っておいたというのに。
手と足の腱を切られたのか、地面に朱の溜まりを作りながら佐助はそのまま寝転がっている。彼の身体能力なら手と足が動かなくても起き上がるのは容易いのだろうが、体の骨も相当折られたのだろう。
甲斐一の忍びは、苦痛を堪えるために深く重い息を吐きながら必死に笑い顔を作って見せた。
「…………ごめん…………しくじっちゃった……」
「お前さんなら逃げることもできただろう! 真田の坊主をかばったのか!?」
「それが半分……残り半分は…………鈍いお馬鹿さんのためかな…………」
「前田慶次か…………この馬鹿が! 小生は動くなと言っただろう!」
「だから……ごめんねって…………言ってるでしょ……」
絶え絶えの息、そして流れ出ていく血。
鉄と木を使った牢の奥に放置された佐助に、官兵衛の手は届かない。手が届けば止血くらいはできるというのに、大谷はどこまで人を嘲弄すれば気が済むのだろうか。
佐助が動けるのならば、逃げるための機会を作ってやることもできた。
しかしどれだけ官兵衛が尽力しても、もう佐助はまともに動くことすらできないのだ。本人が動けなければ、衆人環視の中での脱出などできるわけがない。
佐助のこの姿を幸村に明日見せることになるのか。
自分の不運に佐助を巻き込んでしまった、そしてそれは連鎖して幸村をも襲うのだ。口から出る言葉は先程と違って弱々しくなり、ただ彼に詫びることしかできない。
床に直接座り、両手をつけることができないかわりに必死に頭を下げる。
「すまん……小生が強く止めればこんなことにはならなかったというのに」
「あんたは……石田の大将のためにやったこと……俺様は………………そうだね……自分のために動くのは……これで最後のつもりだったんだけど……」
「刑部の奴は……なにをするつもりだ……」
「徳川の大将からの文は……大谷さんに渡したよ……中身は…………」
声を発するだけで激痛が襲うだろうに、佐助は覚えている限りの文の内容を官兵衛へと伝えてくれた。
ごく普通の会談を呼びかける手紙でしかないそれを、大谷は開戦の合図として使うつもりなのだ。もう家康の呼びかけで会談は行われたということにして、これをその証拠として用いるのか。それとも豊臣に仕える立場である家康が豊臣を同等の存在として扱った、なのでこれは豊臣への侮辱である。
そう宣言し、無理矢理開戦にもっていくのか。
どちらにしても大谷は自分の望む時に戦を行うきっかけを手に入れたわけだ。
家康は米の収穫後の戦を望んでいたと官兵衛は聞いている。米を収穫する前に兵を男手として徴収してしまえば、その年の収穫は悲惨なものとなる。ならば収穫の直前に戦を始めるのだろうか。
いや違う。
男手がいなくとも、米の収穫は行える。大谷が望むこの国土全体に不幸と絶望をまき散らすためにはきっと。
「田植えの前か……その前に戦をおっ始めれば、国全体が滅びる」
「……ちょっとまってよ…………そんなことをしたら……」
「この国の人間を飢え死にさせるつもりだよ、あいつはな」
灯りのなかった室内を照らすのは、官兵衛が持ち込んだ粗末な作りの提灯だけ。
それを佐助を照らしてやるかのように檻のすぐ側に置き、官兵衛は頭を掻きながら考え続ける。どうすれば佐助を救えるのか、家康の文を手に入れた大谷を止めるにはどうすればいいのか。
煮詰まり始めていた思考の流れを変えるために、頭にやっていた手を顎へと移動させると。
笑い混じりの小さな声。
「俺様は……いいよ」
「何を言っている! お前さんには借りがある、それを返さぬうちに死なれちゃ困るんだよ!」
「…………うちの……大将のこと……頼んでもいいかな…………頼むから……大将に俺様を殺させないで…………」
「小生はお前さんも真田の坊主も助けると決めた、そんなことは考えるな!」
「いい男過ぎるよ……あんた……」
でも無理なことはしないで欲しい、幸村のためにも。
今にも途切れそうな息の合間にそう告げた佐助を前にして、官兵衛は大きく顔を歪める。鼻の奥にじわりと広がるものを感じた次の瞬間には、目に溜まった涙が一気にこぼれ始めた。
「…………すまん…………本当に…………」
佐助を救えば、大谷は甲斐の民を皆殺しにしかねない。当然幸村だって無事ではすまされないだろう。武田信玄の代わりに甲斐の国を預かっている彼が、民の窮地に自分が逃げ出すわけがないのだ。
だがここで佐助を見殺しにすれば、少なくとも甲斐の民と幸村は助かる。
一を捨てて千を取るのが、軍師としての考え方。少数の犠牲で多大な戦果が得られるのなら、その手を使わないのが定石だが。
それをしてしまえば、官兵衛は自分を許せなくなる。
だから最後の最後まで知恵を尽くし、佐助を救う方法を考え続ける。
それしか、彼に報いる方法がなかったのだから。
「……きっと…………小生が逃がしてやる…………」
「優しい男だよね……あんたは…………石田の大将も…………あんたを選べば良かったのに……」
官兵衛を気遣うような佐助の声に、更に涙が目から溢れ落ちていく。
夜明けまで後数刻、それまでに佐助の命を救う策を考えなければならない。それは無理だ、できるわけがない。軍師としての冷静な部分がそう心の内から囁きかけてくるが。
ただ一つ、佐助の命を助けることはできなくとも、彼の願いを叶える方法がある。
佐助の命すら助けることができるかもしれないその策を、官兵衛は行うことをためらう。
一つの利を得るために、数十の損を受け止めなくてはいけない。不運につきまとわれた官兵衛の人生ならばそれが当たり前、しかし今回は他の人間を巻き込まなければいけない
のだ。
それも一番大切な人間を。
だが今回は周囲を苦しめることになろうとも、その手を使わなければ。頬を濡らす涙を堪えることなく流すままにし、官兵衛は一つだけ心に誓う。
これから起こるであろう悲劇を全て受け止める、と。
地面に叩きつけたくなる拳を押さえ込み、官兵衛は覚悟を決める。大切な者を守るためだけではなく、大切な者が愛おしいと思う人々をも守るために。
全ての不運を引き受けた上でそれを叩き潰すのだ。
そのためにはあの若者たちにも辛いことを頼まなければならないだろう、もしかしたら客人として滞在している瀬戸内の将たちにも。処刑がいつ始まるかわからないのだから、わずかでも遅れれば全ては終わってしまう。
大谷の予想を覆す手を、彼より早く。
何を使い、どう動けばいいのか。床に少しずつ広がっていく佐助の血から目をそらさず、官兵衛は最後にもう一度だけ彼に宣言する。
「小生はお前さんを見捨てん……たとえお前さんが死ぬことになっても……お前さんの願いだけは叶えてやる!」
「………………………」
佐助の返答はなかったが、その肩はわずかに動いている。
もう話す気力もなくなったのか、それとも『その時』に備えて無駄な体力も使わないようにしているのか。官兵衛は目から涙を溢れさせながらもう一度だけ彼を力づけるために声を掛け。
腕を縛る鎖と派手に鳴らしながら、牢を後にしたのだった。
_______________________________________
この章は次で終わり、そろそろ話はラストスパートへ行く予定ですが。
どうなるのかなあ……次。
BGM「インモラリスト」
主を叱りつけるのは当たり前、主の友人であろうが同盟国の大将であろうが関係無しに普通に話しかけ、一緒に食事を楽しむ。他の国の忍びから見れば、全く忍んでいない上に小言の多いだけの小間使いにしか見えないのだろうが。
真実の己を隠して、周囲に決してそれを悟らせない。
佐助自信はそれが優秀な忍びのあるべき姿だということがわかっていたし、主である幸村や武田信玄にも言動について咎められたことは一度もなかった。特に信玄は幸村の教育を佐助に一部託していたような所もあり、幸村が問題を起こすと必ず佐助に解決を手伝わせたものだ。
どれだけ優秀であろうとも、普通は忍びに自らの後継者を任せるわけがない。
武田信玄の人としての器の大きさに感服し、それを受け継いだかのような幸村の天衣無縫ぶりに手を焼かされ。佐助はその日々を、忍びとしてではなく一人の人間として楽しんでいた気がする。
自分は信玄の望み通りに動けたのか。
ほぼ昏睡状態となっている信玄にそれを聞くことはできないが、幸村は佐助の事を誰よりも信頼してくれている。そして佐助もその思いを裏切らないために、力を尽くしてきたつもりだった。
主だから幸村を裏切りたくないのではなく、彼を悲しませたくない。
幸村は純粋に己の思う道を突き進んでいけばいい。自分は彼の心を汚さないために存在しているのだ。そう自認していたというのに、自分は幸村に何も言わずにこんなところで何をしているのだろうか。
己を出さぬのが忍びではなかったのか。
そう何度も自問したが、佐助が出した答えは結局変わりはしなかった。
「これが家康に預かった文。中身は……」
「言わなくてもわかるよ。どうせまた石田の大将に会いたいんでしょ」
「それだけじゃなくて、黒田官兵衛抜きで……って家康は言ってた。それから家康からの伝言……三成と二人きりで話をしたいから、佐助に是非力を貸して欲しいってさ」
「あのね、俺様の今の立場わかってる? 俺様はあんたの敵だし、徳川の大将をやっつけるのが目標!」
「家康は和解はできると思ってる、そして俺も……佐助とは戦いたくないからね」
「また馬鹿なこと言って……さっさと可愛い嫁でももらって、周りに人たちを安心させてやんなよ……」
質素な宿の中には暑い空気がこもっていた。案内された部屋の中をぐるりと見回し、最初に佐助が要求したことは街道に面した窓を開けること。そうすれば外の様子を伺いやすくなるし、こちらの会話を相手が聞きやすくなる。
目の前で足を崩して微笑む慶次の手には、厳重に封をされた紙の束。三つ葵の家紋が梳きこんである紙など使うのは、徳川家だけ。
あの中には家康の三成への思いが書き連ねられている。
慶次から佐助に連絡を取る時は、大抵宿場町の入り口に目印を置いておくのが常。それが指し示す方向に慶次がいることを知っているので、佐助は彼に簡単に会うことができていた。それが目に留まれば会うことができるし、そうでなければまた次の機会を待つ。二人の関係はそんな互いを縛り付けることのない軽さによってなりたっていたのだが。
今回家康は相当焦っていたのだろう。
慶次にどんな手を使ってでもすぐにこの手紙を届けて欲しいと頼み、そして慶次は佐助の目につくように様々な宿場町に目印を撒いたのだ。豪快なように見せかけて繊細で慎重な部分を持つ慶次がそのようなことをした、それは佐助にとって驚きだったが彼の性格を考えれば無理はない。
心寄せ合う二人が結ばれないのはおかしい。
慶次はその考え故に家康の嘆きを止めようとしたのだろうが、時期が悪すぎた。先日の家康と三成の再会は、官兵衛にとって芳しくない成果しか生み出さなかった。今後は大谷吉継の追及も厳しくなるので、無理に徳川方に連絡を取らなくてもいい。
いや、絶対にしないでくれ。
佐助だけではなく、甲斐の民たちのことも考えての発言。それを聞いてこの男に協力して良かったとあの時は思ったが。今の自分は、自分は官兵衛に止められた一番してはならない選択肢を選んでしまっている。
あんなに目立つ形で目印を撒けば、必ず誰かに気がつかれる。そしてそれは他国の情報を欲しがっている忍びたちにとっては好機。確実にそれは見つけられ、そしてそれぞれお主の元へ届けられたであろう。
夜だというのに佐助の耳には異常な人数の足音が届く。
忍びではない慶次の耳には届いて否用であったが、それはこの宿が包囲され始めている証拠。
「…………佐助、どうかしたかい?」
「あんたの不用心さに腹を立ててた所」
「でも家康は一刻も早くこれを渡して欲しいって言ってたからね」
「そっちには馬鹿しかいないってのがよくわかったよ」
大げさにため息をつき少し癖のある髪の毛に手をやり、耳は必死に周囲の様子を探る。
宿の周辺に潜伏しているのは数十人の兵、おまけに人がわずかに動く度に打ち合わされる金属の音は刃や鎧だけではない。開け放った窓から流れてくる空気に混ざっているのは、火薬に火を付けるための火種の匂い。
徳川家康が佐助を陥れるためにこのようなことを行うわけがない。あの青年は正々堂々と戦いを行うことすら躊躇うのだ、慶次を騙して佐助をおびき寄せるような事は絶対にしない。
ならば自分たちを追い込もうとしているのはただ一人。
人生でただ一度、主君の命を受けずに動いてみたらこの結果。
慶次が自分に会うために各地に目印を置き続けている、それを知ったら自分を止めることができなかった。幸村を窮地に追い込むかもしれない、世話になった甲斐の民たちを苦しめることになるのでは。そんなことなんて考える余裕すら失っていた自分は馬鹿だった、しかし何故か後悔はわずかも湧いてこないのだ。
考えることは、慶次を無事にここから脱出させる事だけ。
その為にはどうすればいいのか、そして幸村に嫌疑を向けられないために自分は今何をしなければならないのか。必死に思考を巡らせ続けるが、願うことはただ一つ。
慶次だけは、何があろうとも生きていて欲しい。
それが甲斐の将たちに力を貸し続けてきた佐助の、唯一の個人的な望みだった。
「………………今日は、ここに泊まってくわけ?」
「俺はそのつもりだけど……佐助はどうする?」
「旦那が待ってるからね、さっさと帰るよ。あんたはここで女でも抱いてゆっくりしてけばいい」
「……何かあった? 俺で避ければ話聞くけど」
「あんたに言うことなんてないよ」
口調がきつくなっているのは自分でもわかる。
だが今佐助の頭の中を巡っているのは、この部屋に踏み入られずに彼を上手く脱出させるかだけ。佐助が逃げれば向こうも忍びを用意しているだろうから、先に慶次の身柄を押さえる。佐助が暴れている隙に慶次を逃がそうとしても、この男は自分を助けるためにやってくるだろう。
その程度には愛されている、それくらいは佐助でもわかる。
愛されているのならば、自分も彼に思いを返さなければいけない。ならば佐助にできることはただ一つだった。
「この手紙……先に読んでもいいかな?」
「石田に渡してくれって俺は言われたんだけど」
「何が書かれているかわからないからね」
そう言いながら無理矢理封を開けると、慶次がおろおろと手を動かし始める。
無理矢理サスケを呼んだようなものなので、止めたい気持ちはあるが実行に移すことができないのだろう。大胆なようで人の気持ちを尊重する、そういうところが愛おしいと思いながら佐助はざざっとであったがしっかりとした字で書かれた文の中身を確認した。
もう一度会いたい、そして和平に向けて話し合いがしたい。
簡潔明瞭に書かれたその内容は、今外で踏み込む機会をうかがっている相手を納得させるには十分だろう。これならば彼らを中に入れずに、慶次を守ることができる。
彼に気付かれぬように大きく息を吸い、胸の中の不安や恐怖を全て押しつぶす。
「一応石田の大将には渡しとくよ…………それじゃあ、俺様はもう行くから」
「酒くらい一緒に飲めないかな」
「それは……そうだね、この戦が終わった後俺様とあんたが生き延びてたら。もし俺様が死んでたら、墓でも作ってそこに酒でもかけてくれればいいよ」
「そんなことさせないよ」
立ち上がりながら軽い口調でそう呟くと、返ってきたのは真剣そのものの慶次の言葉だった。
「俺は佐助が好きだよ。だから佐助を死なせたくない……だから家康に協力するんだ」
膝立ちになり、あの遊び人にこんな目をできるのかと言われそうな程真剣な瞳で。
慶次は佐助を見上げながら必死に言葉を紡ぐ。
「佐助が真田の元を離れないのはわかってる。だけど俺は佐助と戦いたくないんだ……家康と石田が和解して戦わずにすむのなら、それが一番いい」
「もう戦への流れはできあがってる……俺様たちがどうあがいたところで、変わるわけがない」
「変わらないから諦めるなんて、俺にはできない。俺は戦を止めるためなら、どんなことでもするって決めた。そして…………佐助と一緒に生きて行けたらと思ってる」
「…………馬鹿だね、あんたは本当に……」
「だから石田に伝えて欲しいんだ。戦はまだ止められる、だから話し合おうって。場所は俺が用意する……謙信も協力してくれるから……」
「伝えておくよ」
もし佐助が生き延びて三成の前に立つことができたのならば、必ずその言葉を伝えよう。
最後に一度だけ、自分の心を渡してしまった相手を見る。彼の髪を結っているのは、今は幸村に預けている髪紐と同じ物。
姉のような女性の婚礼の時に着た着物で作ったと言っていたが。
自分と佐助は男同士であり、そして互いにあるべき場所が違うのだ。一生共に過ごすことなどできるわけがないし、なによりも。
佐助はこれから死地に赴くのだ。
何気ないふりをよそおって、窓に近づきそっと閉じる。こうすればこれから外で怒ることに慶次は気がつかないはず。
「じゃあ……俺様は帰るよ」
「気をつけて」
「ああ、そうだ。あんたにもらった紐だけどね、うちの旦那に預けてあるから」
「真田に?」
「俺様が持ち歩いて汚れても困るし……もし返して欲しくなったら旦那の所に行ってよ」
「行かないよ、絶対に」
それが佐助の聞いた最後の慶次の声だった。
わざと早足で部屋を出て、できるかぎり慶次と距離を取る。そうしながらも周囲の気配に気を配り、預かった文を再度読み直す。
この手紙の中身なら大丈夫。
そう何度も自分に言い聞かせ、慌てて履き物を履いて外に出た時。
「随分と早い逢い引きよ……甲斐の忍びは敵国の男を好むか……面白き事よ」
「逢い引きだったら良かったんだけどね……その様子だと、俺様が何を持ってるかもお見通しなんでしょ?」
「懐にある物を渡せば……そうよの、この件はぬしの命だけで片を付けてやろう」
「あんたならそう言うと思ったよ」
宿の入り口に面した街道に浮かんでいたのは輿、そしてその上に悠然と座る骨のような体。白い布に包まれた全身を大きめの着物で隠し、肌が傷つくからかゆったりと帯を巻き。
大谷吉継は狂喜の笑みを浮かべ、佐助を見つめていた。
彼の後ろには数名の兵しかいないが、相当数の兵が隠れているはず。ここで大きな声を出せば慶次に気付かれる、そして大谷に刃を向けた瞬間彼は甲斐を敵とみなすだろう。
三成に幸村を斬らせ、兵を殺し。
そして甲斐の民たちの苦鳴を最上の肴として美酒を味わうのだ、この男は。自分の失態で甲斐を、そして幸村を追い込むわけにはいかない。
「約束してもらえるんだろうね、うちの大将……真田幸村と甲斐の安全だけは」
「我は約束を守る……ぬしのように敵と通じてなどおらぬしな」
「なら俺様、降参なんてしちゃおっかな~」
ふざけた口調に大谷が眉をひそめる。
基本的には真面目な大谷をからかうには、わざと汚らしい口調を使ってやるのが一番いい。この男とはとことん気が合わなかったたし互いに嫌いあっているのもわかっていたのだが。
まさかここまで追い込まれるとは。
「ほら、これが望みの物でしょ? あんたの好きに使えばいいよ」
「徳川よりの密書……これは重畳」
ひび割れ色褪せた唇を歪ませ、大谷が低い笑い声を漏らす。
それを合図と見なしたのか街道の脇に隠れていた兵がわき上がるように増えていき、佐助の周囲を囲み始める。この人の動きで確実に慶次は気がついたかもしれないが、上を向けばまだ彼がそこにいることが兵にばれてしまう。
大谷はまだ慶次に利用価値があると判断したのか、慶次について追求してくることはなかった。
ならばこのまま佐助が素直に兵たちに拘束されればいいだけのこと。
普通の縄ではなく細い鎖や太めの革紐などを持って近づいてくる兵たちが縛りやすくなるように、素直に両腕を後ろに回しながら。
願うのは慶次の無事だけだった。
その日は酔いつぶれて客人の部屋でぐうすか寝こけていた三成と幸村を叩き起こし、説教をすることから始まった。佐助がいれば幸村のことを叱ってくれるので楽なのだが、今日は何もかもが違う二人を同時に怒られなければならなかったのだ。
どこに行ったか知らないが、さっさと帰ってこい。
部下に彼の行方を捜させてはいたのだが、優秀な忍びを探すことの難しさを官兵衛はよく知っている。砂丘に落とした小さな豆を探すような難行を命じるのは正直申し訳ないと思ったが、官兵衛が探しに行けば三成の側から離れることになる。
一応甲斐と大阪城の間の街道や、佐助と親しい前田慶次が使うであろう場所に重点的に部下を割り振ってはいたが。
それで見つかるような忍びだったら、佐助は官兵衛に信を置きはしない。
彼が優秀かつ主人に絶対的な忠誠を誓っているからこそ、官兵衛は彼に全てを話し協力を仰いだのだ。このまま戦に突入するにしても、和平に傾いたとしても。三成と幸村の友情は揺らぐことはない、そしてそれは甲斐に恩恵をもたらすはず。
少なくとも官兵衛はそうしてやるつもりだった。
徐々に瀬戸内の将たちに懐き始めている二人を彼らに任せ、官兵衛はその日一日を情報収集に費やすことにした。大谷がいない城は官兵衛にとって宝の山のようなもの。情報という名の何にも代え難い宝を物色し、各地の将たちから届いた大谷への文を片っ端から読みふけり。
大谷吉継が行ってきた汚らしい策の数々を知ることとなったのだ。
隣接し合う領地には不和の種をまき、不作で他国の援助を必要としている土地を飢餓に追い込み。領主ではなく臣下を殺し家臣達の団結を奪い去ってから、凶王の力を見せつける。
仕込みを行えば、後は内部崩壊を待つばかり。
あらゆる国にあらゆる方法で狂った策を仕掛ける、敵ではなく味方にでさえも。こんな相手から三成を救い出さねばならないという難題に頭を悩ませていると、当の大谷が大阪城へと戻ってきたのだ。
大谷帰還の知らせを受け慌てて文書を漁るのをやめ、彼を出迎えるために城の入り口にでたのが間違いだったのかもしれない。
豪奢な馬車に乗って帰ってきた大谷の後ろにいたのは、鎖に繋がれ体中に擦過傷を刻んだ佐助の姿だったのだから。
敵方と通じ、三成へ停戦を持ちかけるつもりだったのよ。
そう言いながらにたりと笑い、佐助を繋ぐ鎖を指で弄んでいた大谷の行動は素早かった。佐助を城の地下にある牢に押し込め、三成と茶を飲んでいた幸村を拘束し。城にいた者たちが事の次第を理解する前に、全てを終わらせてしまったのだ。
勿論、その間半兵衞にも監視が付けられていた。
三成に会うことすら許されず、何が起こったのかを伝えることすらできない。
城内が混乱の極みにある中、官兵衛にできたのは佐助への面会許可を得ることだけだった。幸村や三成を佐助に会わせることはできないが自分ならば、大谷は許可するだろう。
佐助に関しては明日の朝処刑することがもう決まっていた。
処刑される人間を見ながら官兵衛が嘆き苦しむ、それを大谷は期待しているのだ。替え玉を要しようにも、処刑の時間や場所などは大谷の頭の中にあるだけで誰も正確な情報を知らないのだ。すり替えるにはそれ相応の準備が必要なのだが、場所と時間がわからなければその準備すら無駄になる。
次に考えたのは大谷の悪行を周囲に広めることだが、この城の実権を大谷が握っている現状では効果は薄いだろう。三成が大谷を諫める言動をすれば状況は変わるが、友である大谷を陥れることを三成は望まないだろう。
幸村に相談しようも彼は今軟禁されており、そして大谷はきっと幸村に佐助を斬らせるはず。将である幸村が一番の臣下であった佐助を斬れば、甲斐の臣下たちの心は大いに乱れるだろう。自分もいつか幸村に斬られるのではないか、そんな不安を心の植え込めば甲斐の内部はがたがたになる。
大谷の目指す物は天下統一ではなく、絶望と不幸を世界にまき散らすこと。
きっと大谷は、三成の側で爽やかに微笑む幸村を傷つける方法を探していたのだ。そしてそれに一番いい方法が幸村自身に佐助を殺させることだとわかり。
ずっと佐助を捕らえる機会を狙っていた。
今考えれば家康と三成を再開させた時、三成が停戦を選ぶ可能性があるというのに素直にそれを受け入れたのも大谷の策だったのだ。一度徳川との橋渡しを成功させれば、徳川方はまた佐助に連絡を取るはず。
だから佐助にもう動くなと言っておいたというのに。
手と足の腱を切られたのか、地面に朱の溜まりを作りながら佐助はそのまま寝転がっている。彼の身体能力なら手と足が動かなくても起き上がるのは容易いのだろうが、体の骨も相当折られたのだろう。
甲斐一の忍びは、苦痛を堪えるために深く重い息を吐きながら必死に笑い顔を作って見せた。
「…………ごめん…………しくじっちゃった……」
「お前さんなら逃げることもできただろう! 真田の坊主をかばったのか!?」
「それが半分……残り半分は…………鈍いお馬鹿さんのためかな…………」
「前田慶次か…………この馬鹿が! 小生は動くなと言っただろう!」
「だから……ごめんねって…………言ってるでしょ……」
絶え絶えの息、そして流れ出ていく血。
鉄と木を使った牢の奥に放置された佐助に、官兵衛の手は届かない。手が届けば止血くらいはできるというのに、大谷はどこまで人を嘲弄すれば気が済むのだろうか。
佐助が動けるのならば、逃げるための機会を作ってやることもできた。
しかしどれだけ官兵衛が尽力しても、もう佐助はまともに動くことすらできないのだ。本人が動けなければ、衆人環視の中での脱出などできるわけがない。
佐助のこの姿を幸村に明日見せることになるのか。
自分の不運に佐助を巻き込んでしまった、そしてそれは連鎖して幸村をも襲うのだ。口から出る言葉は先程と違って弱々しくなり、ただ彼に詫びることしかできない。
床に直接座り、両手をつけることができないかわりに必死に頭を下げる。
「すまん……小生が強く止めればこんなことにはならなかったというのに」
「あんたは……石田の大将のためにやったこと……俺様は………………そうだね……自分のために動くのは……これで最後のつもりだったんだけど……」
「刑部の奴は……なにをするつもりだ……」
「徳川の大将からの文は……大谷さんに渡したよ……中身は…………」
声を発するだけで激痛が襲うだろうに、佐助は覚えている限りの文の内容を官兵衛へと伝えてくれた。
ごく普通の会談を呼びかける手紙でしかないそれを、大谷は開戦の合図として使うつもりなのだ。もう家康の呼びかけで会談は行われたということにして、これをその証拠として用いるのか。それとも豊臣に仕える立場である家康が豊臣を同等の存在として扱った、なのでこれは豊臣への侮辱である。
そう宣言し、無理矢理開戦にもっていくのか。
どちらにしても大谷は自分の望む時に戦を行うきっかけを手に入れたわけだ。
家康は米の収穫後の戦を望んでいたと官兵衛は聞いている。米を収穫する前に兵を男手として徴収してしまえば、その年の収穫は悲惨なものとなる。ならば収穫の直前に戦を始めるのだろうか。
いや違う。
男手がいなくとも、米の収穫は行える。大谷が望むこの国土全体に不幸と絶望をまき散らすためにはきっと。
「田植えの前か……その前に戦をおっ始めれば、国全体が滅びる」
「……ちょっとまってよ…………そんなことをしたら……」
「この国の人間を飢え死にさせるつもりだよ、あいつはな」
灯りのなかった室内を照らすのは、官兵衛が持ち込んだ粗末な作りの提灯だけ。
それを佐助を照らしてやるかのように檻のすぐ側に置き、官兵衛は頭を掻きながら考え続ける。どうすれば佐助を救えるのか、家康の文を手に入れた大谷を止めるにはどうすればいいのか。
煮詰まり始めていた思考の流れを変えるために、頭にやっていた手を顎へと移動させると。
笑い混じりの小さな声。
「俺様は……いいよ」
「何を言っている! お前さんには借りがある、それを返さぬうちに死なれちゃ困るんだよ!」
「…………うちの……大将のこと……頼んでもいいかな…………頼むから……大将に俺様を殺させないで…………」
「小生はお前さんも真田の坊主も助けると決めた、そんなことは考えるな!」
「いい男過ぎるよ……あんた……」
でも無理なことはしないで欲しい、幸村のためにも。
今にも途切れそうな息の合間にそう告げた佐助を前にして、官兵衛は大きく顔を歪める。鼻の奥にじわりと広がるものを感じた次の瞬間には、目に溜まった涙が一気にこぼれ始めた。
「…………すまん…………本当に…………」
佐助を救えば、大谷は甲斐の民を皆殺しにしかねない。当然幸村だって無事ではすまされないだろう。武田信玄の代わりに甲斐の国を預かっている彼が、民の窮地に自分が逃げ出すわけがないのだ。
だがここで佐助を見殺しにすれば、少なくとも甲斐の民と幸村は助かる。
一を捨てて千を取るのが、軍師としての考え方。少数の犠牲で多大な戦果が得られるのなら、その手を使わないのが定石だが。
それをしてしまえば、官兵衛は自分を許せなくなる。
だから最後の最後まで知恵を尽くし、佐助を救う方法を考え続ける。
それしか、彼に報いる方法がなかったのだから。
「……きっと…………小生が逃がしてやる…………」
「優しい男だよね……あんたは…………石田の大将も…………あんたを選べば良かったのに……」
官兵衛を気遣うような佐助の声に、更に涙が目から溢れ落ちていく。
夜明けまで後数刻、それまでに佐助の命を救う策を考えなければならない。それは無理だ、できるわけがない。軍師としての冷静な部分がそう心の内から囁きかけてくるが。
ただ一つ、佐助の命を助けることはできなくとも、彼の願いを叶える方法がある。
佐助の命すら助けることができるかもしれないその策を、官兵衛は行うことをためらう。
一つの利を得るために、数十の損を受け止めなくてはいけない。不運につきまとわれた官兵衛の人生ならばそれが当たり前、しかし今回は他の人間を巻き込まなければいけない
のだ。
それも一番大切な人間を。
だが今回は周囲を苦しめることになろうとも、その手を使わなければ。頬を濡らす涙を堪えることなく流すままにし、官兵衛は一つだけ心に誓う。
これから起こるであろう悲劇を全て受け止める、と。
地面に叩きつけたくなる拳を押さえ込み、官兵衛は覚悟を決める。大切な者を守るためだけではなく、大切な者が愛おしいと思う人々をも守るために。
全ての不運を引き受けた上でそれを叩き潰すのだ。
そのためにはあの若者たちにも辛いことを頼まなければならないだろう、もしかしたら客人として滞在している瀬戸内の将たちにも。処刑がいつ始まるかわからないのだから、わずかでも遅れれば全ては終わってしまう。
大谷の予想を覆す手を、彼より早く。
何を使い、どう動けばいいのか。床に少しずつ広がっていく佐助の血から目をそらさず、官兵衛は最後にもう一度だけ彼に宣言する。
「小生はお前さんを見捨てん……たとえお前さんが死ぬことになっても……お前さんの願いだけは叶えてやる!」
「………………………」
佐助の返答はなかったが、その肩はわずかに動いている。
もう話す気力もなくなったのか、それとも『その時』に備えて無駄な体力も使わないようにしているのか。官兵衛は目から涙を溢れさせながらもう一度だけ彼を力づけるために声を掛け。
腕を縛る鎖と派手に鳴らしながら、牢を後にしたのだった。
_______________________________________
この章は次で終わり、そろそろ話はラストスパートへ行く予定ですが。
どうなるのかなあ……次。
BGM「インモラリスト」
PR
色々説明
拍手現在豊臣家転生パロ中学生編入ってます
(現在2本 家三 チカナリです)
注意事項
・フリーリンクじゃないです、基本的にはリンクはお断りしています
・ひっそりこっそりが信条なので、黙々と
・捏造、not公式のこばなしが多いので、スルー推奨
ラキドでは幹部全員を溺愛しておりますが、ベルナルドとイヴァンは特に偏愛。ばさらは家三とか奥州の愉快な仲間達と毛長がメインです。うずみさんが現在官三とか官佐にずっぽりとはまり中。
基本は、愛想のかけらもない「ネット怖い~」の書き手が二人で色々書いている場所です。
書いている人
みっし
・生真面目で堅物でムキムキな男性と一見そうじゃなくても根は真面目極まり ないキャラをこよなく愛している、がんかたうるふの片割れ。編み物とお菓子作りが趣味という、第三者曰く可愛らしい一面を持つ反面、パニクると踊ったり、オロオロしだして周囲は見ていて楽しいらしい。荒ぶる舞は、職場の名物だったりする……らしい。
イヴァンちゃんと片倉さんとシズちゃんとスカイハイさんと陛下を思いっきり愛している。好きなアニメは銀魂と最近はFate/zero。型月ファンというよりは元から虚淵ファンでうずみさんからオススメされまくった末にようやっと手を付けて完読した。ライダー組おいしいです。エクシリアではダントツで陛下が好き。陛下が使用可能になる完全版があるなら複数買いしても構わないとのたまう日々。バサラの好きキャラは片倉さん一強だったはずなのに最近はアニキも熱い。かっちり着込むキャラがすきだったはずなのにいきなり露出度が高いキャラを好きになったのは何故か悩む日々。二次元の向かう愛と同じぐらい甥っ子への愛を叫んでいる気がしてならない。
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