こちらはサークル「がんかたうるふ」のうずみとみっしの二人組が、ラッキードッグ1とばさらのこばなしを黙々と投下する場所です。
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目が覚めたら喉の痛みと熱はすっかり治まっていた。
まだ体に違和感はあるが起き上がれぬ程ではないし、どれだけ温められても感じ続けていた寒気も体の内から消え失せている。動かすだけで間接に感じた痛みもなくなり、これならば布団から出て動けるだろうと考えはしたがまずは喉を潤してからだろう。
まだ世が明けきっていない中、体を起こしながら薄明かりの元枕元に手を伸ばす。
熱で記憶がぼやけてはいたが、そこには薬湯の満ちた急須が置かれていたはずなのだ。汗に濡れた額を拭き、誰かが時折頭を持ち上げてそれを飲ませてくれた。そしてそれは三成が咳き込み苦しむ度に行われていたのだから、未だにそこにあるはずなのだ。
目を瞬かせながら指先を動かすと、触れたのは予想だにしなかった柔らかい感触。
急須がこんなに柔らかく暖かいわけがないと思い、慌ててそちらを見ると。
「…………家康……?」
床に突っ伏すようにして、黄色の装束をまとった男が布団のすぐ側に横たわっていた。
彼の背はゆっくりと動き、心地よさそうな寝息が三成の耳に届く。昔は激しい稽古の合間にこうやって二人で体を並べて眠ってしまったことはあったが、今は互いに敵同士なのだ。
どうして敵の前で無防備すぎる姿で眠っているのだ。
それに客人である家康が用意された部屋でなく、何故病人である自分の側で眠っているのか。石田三成は客に看病をさせるなどと噂になったら、間違いなく豊臣家の名前に泥を塗ることになってしまう。
そこまで考えてふと気がついたことがあった。
「貴様が……一晩中ついていてくれたのか……」
遠くに押しやられた急須と湯飲みの置かれた盆。
しかしそれは三成には遠いが、家康の手は伸ばさなくても届かない場所にあるのだ。もしかしてこの男は自分のことを君主の仇と公言する相手を一晩中看病し続け、いつ殺されてもいいと言わんばかりに背を差し出しているというのか。
その事実に気がついた瞬間、口から漏れたのは今の家康を表現するに一番ふさわしい言葉。
「……馬鹿が……」
だがそんな『馬鹿』だからこそ家康を愛したのだ。
苦々しげな、だが愛おしさに満ちた三成の声は家康の耳にしっかりと届いたのだろう。
「もう朝か……おはよう三成」
「おはようではない。何故……このようなことをした」
「儂は三成が一番辛かった時に側にいてやることができなかった。だから……せめてこれくらいはしたいと思ったのだ」
「私から秀吉様を奪ったくせに、何を言う」
「その通りだ、だが儂は三成のその言葉も儂の愚かさも……全て受け止めようと思っている。今の儂にできるのはそれだけだ。秀吉を殺す前に戻れれば良かったのだろうがな……そこまで事が都合良く運ぶはずがない」
体を起こしながらそう言う家康の影が、三成の布団にかかる。
徐々に強くなっていく朝の光に照らされる笑顔は、三成がよく知る神々しささえ感じる影のないものだったが。
だからこそ彼が心に抱いている影を、くっきりと浮かび上がらせる。
愛する者と戦うという苦しみを彼は隠しながら、周囲を安心させるために笑う。しかし今の家康は自らの内にある暗い思いすら全て飲み込み、前に進もうとするもろさを内包した強さを隠そうとしていなかった。
その表情が自分の言葉で揺れる度に、家康が本音を漏らしているようで三成は少しだけ安堵する。
「貴様はどうしたいのだ? 私を殺さない、だが天下は望む……言っていることが全て矛盾しているではないか」
「矛盾すら越える、儂はそう決めた」
「ならば……私を愛しているといった言葉も……矛盾の内か?」
そう口にした後、激しく後悔した。
家康の思いを受け入れてはいけない、そう思っているはずなのにどうして彼の気持ちを確かめるようなことを口走ってしまったのか。
自分も愛している、その思いを伝えたくともこの男は敵だ。
いずれ殺し合わなければならない相手に愛していると告げられ、自分もこの男を愛していると伝えてしまうことなど。
できるわけがないのだ、互いのためにも。
それゆえ逡巡し内に燃える思いを口にできない三成と違い、家康はとにかく潔かった。
「儂は何度でも告げる……三成を生かし、儂も生き延び……そして二人で幸せになるのだと、な」
「…………………」
「勿論、三成が儂のことを愛していないのはわかっている。だが儂は三成が儂の方を向いてくれるまでいつまでも待つつもりだ。何度でも愛していると口にするし、三成に拒まれても諦めはしない」
わずかの曇りもない瞳、そして徐々に昇っていく日の光を背に背負い陽光そのもののような顔で笑うのだ。
三成の愛を得るためなら、どんなことでもしてみせる。
そのためならばこの国すら変えてみせよう、と。
愛した相手にこれだけの強さを持つ思いをぶつけられ、愛おしげな眼差しで見つめられ。優しく笑まれてしまえば、もう三成に勝ち目はなかった。
「……………………も……だ」
「三成……今なんと言った!?」
「わ、私もだ……と言っただけだ」
「私も……? それはどういう……」
「貴様はどれだけ鈍いのだ! 私も貴様を愛していると言っているのだ、さっさと気がつけ!!」
後も先も考えていない、勢い任せの言葉だった。
叫ぶように口にしたので直ったと思っていた喉がまだ痛み出したし、呼吸も当然荒くなる。
だが口にしたことに関しては、わずかの後悔もなかった。
家康は嘘偽りのない言葉をくれた、ならば自分も同じもので彼に返さなければならない。彼を愛しいているからこそ対等でありたいし、本当の思いを隠したままで彼と対峙したら。
きっと自分は彼に何も言えなくなる。
「………………儂を……騙しているわけではないのだな」
「貴様を騙して私に何の利があるというのだ」
「そうか……そう……か…………」
額に手を当て、顔が手の影に隠れるようにしながら。
家康は一気に赤く染まった顔を隠そうと四苦八苦していた。先ほどまでの凛々しさはどこへやら、顔がにやけきっている上に目には涙がたまり始めている。
「家康……貴様泣いているのか?」
「嬉しいのだ! 三成も儂のことを思ってくれている……それが……本当に……」
「とりあえず貴様は落ち着け」
「そうだな。だが……どうしていいかわからぬほど嬉しいのだ」
「そうか…………私も貴様に伝えられた時どう言っていいかわからないが……嬉しかったのだろうな」
喜びと同時に感じたのが絶望だったことは黙っておく。
手の甲で嬉し涙を拭っている家康にそんなことを伝えるわけにはいかなかったし、それ以上に三成は自分たちの今後について楽観視することはできなかった。
家康を秀吉を討った憎き仇として憎む豊臣の兵たちをどう納得させるのか。
二人そろって生き残ると家康は言っているが、どう考えてもそれが許されるわけがないのだ。勝者は敗者を潰すことで己の力を誇示する、それがこの時代を生き抜くということ。
この戦いでどちらが勝ったにしても、大将の首をとらなければ周囲が納得するわけがないのだ。
三成が勝てば家康の命が奪われる、そして家康が勝てば三成かまだ赤子の秀頼の命を要求されるだろう。戦を行うのは自分だというのに、旗頭として持ち上げられただけの秀頼を殺すわけにはいかない。
そして三成の中でまだ、秀吉を殺した存在への憎しみは当然の如く燻っているのだ。
道は遠く、越えなければならない試練が幾つも立ちはだかっている。
共に生きて幸福になりたい、その思い故にこの戦国の世の全てを打ち砕こうとしている家康。彼と共に古く陰惨な因習を破壊し、新しい世を作ることができたら。
消えない憎しみも、昇華される日が来るのだろうか。
「…………まだ泣いているのか」
「涙が止まらぬのだ」
「そうか……だがあまり泣くな」
体を縮こまらせて泣く家康の頭に、そっと伸ばした手を置いてみる。
これが自分を恋い慕ってくれる男、そして自分も愛おしいと思える男。堅そうに見えるのに触ってみると柔らかい髪を指先でそっと撫でると、家康がくすぐったそうに肩を揺らして身を捩ってみせた。
「三成は儂を泣かせたり笑わせたり……一体儂をどうしたいというのだ?」
泣き笑いとしか表現できない顔であったが、ようやく家康は少し顔を上げた。
どうすればこの男の心を手に入れることができるのか、そんなことを考えたことなど一度もなかった。同性への愛情など実らなくて当然、おまけに自分は豊臣に全てを捧げているのだ。ただ家康の側にいて、彼と肩を並べて戦うことができれば満足だったというのに。
彼も自分を思っていてくれると知ってしまうと、少し欲が出てきてしまう。
彼は夕刻には戻ってしまう、次はいつ会えるのかわからない。だから彼の事、そしてかれが自分を愛してくれているという事をこの身に刻み込むために。
もう少しだけ彼に触れてもいいのでは。
「い、家康!」
「どうしたのだ、み、三成……」
「夕刻には三河に帰るのだったな」
「その……つもりだが……」
互いに男だ、そしてまだ若い。
愛しい相手が自分のことを思っていてくれているのだから、もっと触れたいと思うのは家康も同じだったらしい。三成に頭を触れさせたまま、目だけをきょろきょろと動かし。家康は必死に三成に触れる理由になりそうな物を探していたのだが。
遠くから近づいてきた足音が、一気に二人の体を硬くした。
「こんな朝早くに誰が来たというのだ?」
「あの足音は官兵衛だな……間の悪い時に」
三成の憎々しげな舌打ちと、家康の切なげなため息が綺麗に重なる。
そして調子っぱずれの鼻歌と賑やかな足音と共に、楽しげに襖を開けて室内に入ってきた官兵衛を思わず睨み付けてしまったわけだが当然彼には何の罪もなかった。
三成の体を拭くためらしい湯気の立っている桶を枷のついた手で器用に抱え、脇に何かが入っているらしい麻の袋を挟んで現れた官兵衛は自分がまずい時に戻ったことに瞬時に気がついたのだろう。
「その……な、お楽しみの所、すまなかったな」
「お楽しみではない!」
「じゃあこれからお楽しみだったのか? そういうことは三成の体が癒えてからにしろ」
「儂が病人に何かすると思っているのか? 今日は三成の体を抱きしめたかっただけだ」
「わかったわかった」
大きな体からは想像できないほどに繊細な動きで床に桶を置き、それを家康の方へ押しやりながら官兵衛は二人に向かって適当に頷いている。
まだ家康の頭に触れたままの三成を見て表情を緩めると、脇に挟んでいる物を体ごと三成へと差し出した。
「これはお前さんの物だ」
「貴様の脇に挟んだ物など触れるか……汚らしい」
「そんなこと言うなよ……この手で苦労して取ってきてやったっていうのに」
「一体それは何なのだ?」
布団の中の三成と、その隣にいる家康。
二人を交互に見つめながら、黒田官兵衛は唇を歪めながら厳かとも言える表情で口を開いた。
「これは死ぬ前に半兵衛からの……三成、お前さんに宛てた手紙だよ。あいつのためにも、そしてお前さんたちの今後のためにも……読んでやってくれ」
半兵衛からの手紙、その言葉に三成は大きく目を見開いた。
家康と殺し合えと三成に命じて死んだ、敬愛すべき軍師。彼が一体どんな手紙を遺していたというのだろうか。
正直、読むのは怖い。
だが半兵衛の思いを受け取らなければいけないという思いの方が、三成の中では強かった。自分と同じ病にかかった秀吉のことだけを思って死んでいった半兵衛、彼が自分に何を伝えようというのか。
小さく息を飲み、だが決して目をそらさず。
「わかった」
と短く答えた三成が、家康の頭に置いていた手で手紙を受け取ったのを見て。
官兵衛は満足げな顔で、小さく頷いてみせたのだった。
家康に肩を抱かれた三成が時折目元を拭いながら手紙を読み進める様を、官兵衛は無言で見守り続けていた。
手紙の中身は読まずともわかっている。
半兵衛が死す前に小さな文机の奥底に遺した、三成に向けた謝罪と愛情が込められた手紙。複雑に木を組み合わせ手順通りに動かしていかなければ開くことのない隠された空間にあるそれを枷のついた手で取り出すのは大変だったが、それも全て三成のため。半兵衛が三成を憎んでこのような状況に追いやったのではなく、苦渋の決断であったことを知っておいてほしかったのだ。
己に向けられた愛情があったということ、その思いを受けて未来を紡いでいかなければならないこと。
三成にはそれを、そして家康には半兵衛が何を考えて二人を殺し合わせようとしていたのかをあの手紙は教えてくれる。多少どころではなく口惜しいが、官兵衛が二人から離れている間に二人は互いの思いを確かめ合ったのだろう。
三成を気遣いながら汲めども尽きぬ愛情を眼差しで注ぎ続ける家康と、それを濡れた瞳で受け入れている三成の姿。互いへの愛情に満ちた眼差しを交わしあう様子を見れば、馬鹿でもわかることだ。
愛しい相手が目の前で他の相手と心を結ぶ様を見せられるのは正直辛いが、その反面喜ばしくもあった。
これで三成は何があろうとも自ら死を選ぶことはない。
ずっと前から思っていた相手が自分のことを愛してくれている、その事実は半兵衛の策に動かされることこそ正しいと信じている三成を変えてくれるだろう。家康を生かすだけではなく自分も生き抜きたい、そう思ってくれれば官兵衛はもうそれだけで良かったのだ。
生きてこの世にいてくれるだけでいい。
幾重にも巻かれた手紙をほどきながら読み進める三成の目には、もうわずかな影も存在していなかった。半兵衛の思いを知り、家康と体を寄せ合い。口元にわずかな笑みを浮かべる姿を見て心底ほっとした官兵衛だったが。
確かあの手紙には何カ所か今の三成に読ませてはいけない場所があったのでは。
体調もすっかりよくなった様子の三成の姿に安堵させられすっかり忘れていたが、この手紙には大谷吉継への対処についても書かれていたはず。それに官兵衛が思い当たった時、三成と家康の目はもう該当する場所へとたどり着いていた。
「…………半兵衛様は……刑部を…………」
「いや三成、すぐに刑部を殺すわけではないはずだ。もし刑部が何かを行おうというのなら……ということなのだろう」
「しかし刑部は……っ! 私だけならまだいいのだ……だが刑部を殺すことまで考えていたというのか!?」
もし大谷吉継の所行があまりにも非道なものであった時のみ、半兵衛の配下の者は大谷吉継を殺害し、それを徳川方の仕業として戦を開戦させる。半兵衛が用意していたその策に最初読んだ時は驚いた官兵衛だったが、今こういう立場になってみたからこそわかることがあった。
大谷吉継が望むがままに動けば、また多くの血が流れる。
彼の憎悪が人々の心を荒らし、全てが狂っていった。大谷を殺して止めることもできるだろうが、友を誰よりも思っている三成はそれを望まないだろう。そして彼が望まないことを、官兵衛は当然行う気はない。
先ほどまで柔らかくほころんでいた唇を強く噛みしめ、堪えることができなくなった涙をぼろぼろとこぼしはじめながら嘆く三成を家康は無言で半ば抱きしめるようにして支えていた。
さすがの家康も半兵衛の非情さに言葉を失ってしまっている。
ならばここは自分が口を開かなければ話は進まないだろう。そう考えた官兵衛は、言葉無く落ち込む二人の青年を慰めるように優しく話を切り出し始めた。
「……小生は、これも半兵衛の奴の愛情だと思っているがな」
「殺すことが……愛情だと?」
「自分の策の道具にしちまうことになる三成……お前さんとは違う意味で、あいつは刑部のことが心配だったんだろうよ。知っての通り、あいつの寿命はもうそんなに長くない。健康すぎてどうしようもない奴らにゃわからんかもしれんが、自分の死と常に向き合うっていうのはそいつの心を壊しちまうものなんだよ」
「…………半兵衛は、刑部が狂う前に殺してやろうと思ったというのか?」
少し考え込んで、小さくそう口にした家康に向けて官兵衛は大きく頷いてやる。
「傲慢すぎる考え方かもしれんが、いつ死ぬかわからんからこそ周囲を苦しめるようになる前に終わらせてやりたい……そう思っちまったのかもな。だから半兵衛のことは許してやってくれ……あいつもきっと……苦しんでたんだよ」
「……どうして……あの時私に何も告げてくれなかったのですか……半兵衛様……」
「過去を悔いてもその時に戻る事なんてできないんだ、それこそこの世をひっくり返すほどの『奇跡』でも起こらなきゃな」
その『奇跡』のおかげで家康と官兵衛はここにいるのだ。
昨夜三成の看病をしながら家康から聞いた話で、なんとなくだが今の状況を理解することができた。
家康があの戦場で望んだのは自らの手で殺してしまった三成を救うこと、そして官兵衛もあの時三成の遺骸を抱きながら一つのことを願った。本来なら家康の願いで過去の戻ることができるのは家康一人だけなのだろうが、官兵衛はあの時願ったことによって石田三成という存在と強く結びつけられてしまったらしい。
だからこそ三成が生存する未来を望んだ家康の願いは官兵衛にも作用した。
これはまだ推論でしかないが、三成や家康と深い友誼を結んでいた存在にもその影響は少しだが及んでいる可能性がある。苦痛と絶望に満ちた未来ではなく新しい未来を切り開きたい、魂の奥底にその思いを刻み込まれている人間が自分たち以外にいるとするならば。
これからの戦いはかなり楽なものになるだろう。
「さて、少し話をさせてもらうとするか」
二人の目をこちらに向けるために大きめの声を出し、官兵衛は枷に繋がれた手を膝に置く。これからしなければならない話は若い二人を幸せにするための、そしてこの国に平和な未来をもたらすために必要なもの。
官兵衛の声に込められたそんな意志を、二人も理解したのだろう。
体を触れあわせたままであったが姿勢を正し、澄んだ瞳を彼らはこちらに向けてきたのだった。
「話してくれ官兵衛、儂はどんなことでもするつもりだ」
「家康がそう言うのなら……私も貴様を今だけは信じよう。だが私は刑部を見殺しにする気はない、それもわかっているのだろうな」
「当たり前だ。小生がお前さんの望みを叶えんわけがない」
にかっと笑ってみせると、家康の顔が一瞬だけ曇った。
官兵衛の前の前で三成の体に触れていることに対する罪悪感か、それとも別な思いからか。どちらであろうと官兵衛は二人の恋路を応援することにもう決めている。何をしようとも三成の心は自分のものにならないことを、官兵衛はもう知ってしまっているのだ。
だからこそあの時一つのことを願い、その結果ここにいる。
家康にそのことについて教えてやってもよかったが、もう少しだけ彼を困らせてやりたいと思ってしまうのも事実。自分が欲しくたまらないものを手に入れ、天下まで手に入れることができる男に少しくらい嫌がらせしても許されるはず。
気づかれぬように吐息に混ぜて小さく笑いを漏らし、官兵衛は熱は下がったがまだ頬がわずかに赤い三成を見つめながら話を続けた。
「刑部に実権はできるだけ与えんつもりだ……あいつの体のこともある、無理に仕事を任せれば死期が早まるしな。そのかわり三成、お前さんが全てを取り回す必要があるぞ……できるか?」
「刑部が表に出なければ戦を行う理由にもできぬということだな。それで刑部を守れるというのなら、私はどのようなことでも行ってみせる」
「お前さんを勝たせるためなら、刑部の奴は何をするかわからん。ついでに全ての悪行は自分が行ったと言いかねん……死期の近い奴は捨て鉢になりがちだからな。まあ刑部の件は後でもう少し詰めて話をするが、まずは家康……そして三成」
お前ら、一度殺し合え。
互いに生き延びるための戦いだというのに、こいつはいきなり何を言い出すのか。
そう言いたいのだろうが驚愕のあまり硬直してしまっている二人に向けて笑いながら首を振り、今の言葉がある種の冗談であることを態度で告げてやる。
「……殺し合うくらいの覚悟でやりあえって事だ。一度お前さん方が争いあう姿を多くの人間に見せてやらないと、小生の策はそれ以上先には進まん。全力でやりあった上でお前さんたちが出した結論だからこそ、人は動く。だからこそお前さん方が本気で戦い、思いをぶつけ合わせる様を見せてやらなければな」
「…………儂に……三成と戦えと?」
「生かすために戦うんだよ」
「もし三成が儂の拳の前に身を投げ出したらどうするのだ? 三成の体を儂の拳で……傷つけることなどできぬ」
「だがな……」
「甘えるな」
家康にこの策を受け入れてもらわなければ。
そう思い言葉を尽くして説得しようとした官兵衛を止めたのは、刃の切っ先のような鋭さを持った三成の声であった。
三成がこんな声を出す時はいつも、何かと戦う覚悟を決めた時。
だから官兵衛は自分で家康を説得することをやめ、三成に全てを任せることにした。
「貴様は私から……秀吉様から逃げる気か?」
「儂が……逃げる?」
「私は半兵衛様の遺志を受け入れる。その上で貴様を愛し……戦うつもりだ。秀吉様を殺した貴様とは決着をつけねばならないと思っていたところだ」
「三成とは戦いたくないのだ」
「そのような女々しい男に私を思う許可など与えない」
冷たい目線を投げた後、ついと首を別な方へと向け体まで家康から離そうとする。
聞いている官兵衛からしてみれば三成からの熱烈な告白にしか感じられなかったのだが、家康には効果絶大だったらしい。
途端に顔を青くして、離れてゆこうとする三成の体を力を込めて抱きしめ。
「わかった、儂も覚悟を決める!」
顔を強ばらせながらではあったが、そんな決意を口にしたのだ。
あの戦を越えた後、常に笑顔で周囲を鼓舞し続けてきた人間とは思えない程、家康は負の感情を表に出すようになった。それだけ三成の死は彼の心に影響を与えたのだろうが、官兵衛は今の家康の方が好ましいと思っている。
何があろうとも揺れない心を持つ主君は、仕える人間に安心感を与えてくれる。
だが何があろうとも本音を吐き出さない人間を、官兵衛は信用する気にならなかった。だからこそ以前の家康には疑いと敵愾心しか持つことしかできなかったわけだが、今の家康は年相応の迷い悩む背年にしか見えない。
これならば彼ともうまくやっていくことができるはず。
三成に冷たく叱責され、彼に嫌われるくらいなら覚悟を決めようと家康は思ったらしい。その目に澄んだ輝きを宿らせながら、三成の耳元に謝罪の言葉を囁き続け。
言葉を尽くす度に少しずつ態度が軟化していく三成を見て顔を緩ませる。
恋人に拗ねられて落ち込み、機嫌を直した相手の姿を見て喜ぶ。そんな普通の青年らしい姿を見ながら、官兵衛はできるだけ事務的に彼らに話しかけた。
「そろそろ……話を戻したいんだが」
「そうだな、話を続けろ」
「すまなかった」
「いちゃつきたい気持ちはわかるがな、少しだけ我慢しろって。状況が落ち着けば、朝まで二人で睦み合ってても誰も文句を言わんようになるんだからな」
「む、睦み……っ!?」
自分で口にするのも恥ずかしいのか、自分の口を塞ぐようにして三成は言葉の続きを封じ込める。いちいち反応していたら話が進まないと思ったのか、それともそういう言葉に反応してしまう自分を家康に見せるのが嫌だったのか。
もじもじしながら官兵衛に続きを話しだせと目で言い続けていた。そんな三成を更に混乱させたのは、あっけらかんとした家康の言葉だった。
「睦み合うとはどういう意味なのだ?」
「なんだお前さん、知らんのか」
「何度か聞いたことはあるのだが……忠勝が儂は知る必要がないといって教えてくれなかったのだ」
「臣下がそう言うのなら、別に知らなくてもいいだろうよ」
「だが三成は知っているのだろう?」
いきなり話を振られた三成は、彼らしくないほどにおろおろしながらあちこちを見回し。どうしていいのかわからなくなったのか、唐突に勘兵衛に向けて大きな声で叫んだ。
「官兵衛、貴様が悪い!」
「そういうことにしておくか……」
「結局儂には教えてくれぬのか?」
「三成が布団から出られるようになったら、夜通し教えてもらえ」
「そうか、頼んだぞ三成」
「あ……ああ……」
歯切れの悪い返事をした三成は、家康の体に強く体を寄せ胸元に顔を埋めてしまった。
悪いことをしてしまったと思いはしたが、自分はこれからずっと彼らの仲良しぶりを見せつけられることになるのだ。少しくらいは意地悪したって罰は当たらないはず。
急に自分に強く体を寄せてきた三成を怪訝に思いながらも優しく抱きしめてやっている家康を笑い混じりで睨み付け、官兵衛は話を続けることにした。
「お前さん方の戦いが終われば、次は周囲と話し合わなきゃならん。お前さんも当然味方について欲しい奴がいるんだろうが……小生の指示に従ってもらうぞ」
「それは……どういうことだ?」
「この国全ての将たちを動かし遺恨が残らぬように終わらせる、小生が目指すのはそれだ。だからこそ勝手に動かれちゃ困るんだ。お前さんの友人である長宗我部元親……あいつにはこちらについてもらう」
どうして、何故。
官兵衛へ疑問とわずかの不信感をぶつけてくる家康に、官兵衛は懇切丁寧に一つ一つ。彼と三成の両方を納得させるために、今後について語り始めた。
自分たちのためではなく、自分たちに関わった存在全てを生かす戦いをするために。
_____________________________________________
ここまで書いたので、少しいいわけを。
この話のプロットに関しては1月くらいに完成しておりました……月孤譚が書き終わる前くらいですね。当時人気沸騰の某アニメ……とかぶるかなあと思っていたのですが、どうしてもこの流れがやりたかったので没にしないでそのまま始めてしまいました。
~偽~の展開を踏襲して、それを乗り越えるハッピーエンドが書きたいと思ったのです。
これから~偽~で書かれなかったことの補完をしながら進んでいく予定です、まあぼちぼちおつきあいください。
BGM「流星ミラクル」
まだ体に違和感はあるが起き上がれぬ程ではないし、どれだけ温められても感じ続けていた寒気も体の内から消え失せている。動かすだけで間接に感じた痛みもなくなり、これならば布団から出て動けるだろうと考えはしたがまずは喉を潤してからだろう。
まだ世が明けきっていない中、体を起こしながら薄明かりの元枕元に手を伸ばす。
熱で記憶がぼやけてはいたが、そこには薬湯の満ちた急須が置かれていたはずなのだ。汗に濡れた額を拭き、誰かが時折頭を持ち上げてそれを飲ませてくれた。そしてそれは三成が咳き込み苦しむ度に行われていたのだから、未だにそこにあるはずなのだ。
目を瞬かせながら指先を動かすと、触れたのは予想だにしなかった柔らかい感触。
急須がこんなに柔らかく暖かいわけがないと思い、慌ててそちらを見ると。
「…………家康……?」
床に突っ伏すようにして、黄色の装束をまとった男が布団のすぐ側に横たわっていた。
彼の背はゆっくりと動き、心地よさそうな寝息が三成の耳に届く。昔は激しい稽古の合間にこうやって二人で体を並べて眠ってしまったことはあったが、今は互いに敵同士なのだ。
どうして敵の前で無防備すぎる姿で眠っているのだ。
それに客人である家康が用意された部屋でなく、何故病人である自分の側で眠っているのか。石田三成は客に看病をさせるなどと噂になったら、間違いなく豊臣家の名前に泥を塗ることになってしまう。
そこまで考えてふと気がついたことがあった。
「貴様が……一晩中ついていてくれたのか……」
遠くに押しやられた急須と湯飲みの置かれた盆。
しかしそれは三成には遠いが、家康の手は伸ばさなくても届かない場所にあるのだ。もしかしてこの男は自分のことを君主の仇と公言する相手を一晩中看病し続け、いつ殺されてもいいと言わんばかりに背を差し出しているというのか。
その事実に気がついた瞬間、口から漏れたのは今の家康を表現するに一番ふさわしい言葉。
「……馬鹿が……」
だがそんな『馬鹿』だからこそ家康を愛したのだ。
苦々しげな、だが愛おしさに満ちた三成の声は家康の耳にしっかりと届いたのだろう。
「もう朝か……おはよう三成」
「おはようではない。何故……このようなことをした」
「儂は三成が一番辛かった時に側にいてやることができなかった。だから……せめてこれくらいはしたいと思ったのだ」
「私から秀吉様を奪ったくせに、何を言う」
「その通りだ、だが儂は三成のその言葉も儂の愚かさも……全て受け止めようと思っている。今の儂にできるのはそれだけだ。秀吉を殺す前に戻れれば良かったのだろうがな……そこまで事が都合良く運ぶはずがない」
体を起こしながらそう言う家康の影が、三成の布団にかかる。
徐々に強くなっていく朝の光に照らされる笑顔は、三成がよく知る神々しささえ感じる影のないものだったが。
だからこそ彼が心に抱いている影を、くっきりと浮かび上がらせる。
愛する者と戦うという苦しみを彼は隠しながら、周囲を安心させるために笑う。しかし今の家康は自らの内にある暗い思いすら全て飲み込み、前に進もうとするもろさを内包した強さを隠そうとしていなかった。
その表情が自分の言葉で揺れる度に、家康が本音を漏らしているようで三成は少しだけ安堵する。
「貴様はどうしたいのだ? 私を殺さない、だが天下は望む……言っていることが全て矛盾しているではないか」
「矛盾すら越える、儂はそう決めた」
「ならば……私を愛しているといった言葉も……矛盾の内か?」
そう口にした後、激しく後悔した。
家康の思いを受け入れてはいけない、そう思っているはずなのにどうして彼の気持ちを確かめるようなことを口走ってしまったのか。
自分も愛している、その思いを伝えたくともこの男は敵だ。
いずれ殺し合わなければならない相手に愛していると告げられ、自分もこの男を愛していると伝えてしまうことなど。
できるわけがないのだ、互いのためにも。
それゆえ逡巡し内に燃える思いを口にできない三成と違い、家康はとにかく潔かった。
「儂は何度でも告げる……三成を生かし、儂も生き延び……そして二人で幸せになるのだと、な」
「…………………」
「勿論、三成が儂のことを愛していないのはわかっている。だが儂は三成が儂の方を向いてくれるまでいつまでも待つつもりだ。何度でも愛していると口にするし、三成に拒まれても諦めはしない」
わずかの曇りもない瞳、そして徐々に昇っていく日の光を背に背負い陽光そのもののような顔で笑うのだ。
三成の愛を得るためなら、どんなことでもしてみせる。
そのためならばこの国すら変えてみせよう、と。
愛した相手にこれだけの強さを持つ思いをぶつけられ、愛おしげな眼差しで見つめられ。優しく笑まれてしまえば、もう三成に勝ち目はなかった。
「……………………も……だ」
「三成……今なんと言った!?」
「わ、私もだ……と言っただけだ」
「私も……? それはどういう……」
「貴様はどれだけ鈍いのだ! 私も貴様を愛していると言っているのだ、さっさと気がつけ!!」
後も先も考えていない、勢い任せの言葉だった。
叫ぶように口にしたので直ったと思っていた喉がまだ痛み出したし、呼吸も当然荒くなる。
だが口にしたことに関しては、わずかの後悔もなかった。
家康は嘘偽りのない言葉をくれた、ならば自分も同じもので彼に返さなければならない。彼を愛しいているからこそ対等でありたいし、本当の思いを隠したままで彼と対峙したら。
きっと自分は彼に何も言えなくなる。
「………………儂を……騙しているわけではないのだな」
「貴様を騙して私に何の利があるというのだ」
「そうか……そう……か…………」
額に手を当て、顔が手の影に隠れるようにしながら。
家康は一気に赤く染まった顔を隠そうと四苦八苦していた。先ほどまでの凛々しさはどこへやら、顔がにやけきっている上に目には涙がたまり始めている。
「家康……貴様泣いているのか?」
「嬉しいのだ! 三成も儂のことを思ってくれている……それが……本当に……」
「とりあえず貴様は落ち着け」
「そうだな。だが……どうしていいかわからぬほど嬉しいのだ」
「そうか…………私も貴様に伝えられた時どう言っていいかわからないが……嬉しかったのだろうな」
喜びと同時に感じたのが絶望だったことは黙っておく。
手の甲で嬉し涙を拭っている家康にそんなことを伝えるわけにはいかなかったし、それ以上に三成は自分たちの今後について楽観視することはできなかった。
家康を秀吉を討った憎き仇として憎む豊臣の兵たちをどう納得させるのか。
二人そろって生き残ると家康は言っているが、どう考えてもそれが許されるわけがないのだ。勝者は敗者を潰すことで己の力を誇示する、それがこの時代を生き抜くということ。
この戦いでどちらが勝ったにしても、大将の首をとらなければ周囲が納得するわけがないのだ。
三成が勝てば家康の命が奪われる、そして家康が勝てば三成かまだ赤子の秀頼の命を要求されるだろう。戦を行うのは自分だというのに、旗頭として持ち上げられただけの秀頼を殺すわけにはいかない。
そして三成の中でまだ、秀吉を殺した存在への憎しみは当然の如く燻っているのだ。
道は遠く、越えなければならない試練が幾つも立ちはだかっている。
共に生きて幸福になりたい、その思い故にこの戦国の世の全てを打ち砕こうとしている家康。彼と共に古く陰惨な因習を破壊し、新しい世を作ることができたら。
消えない憎しみも、昇華される日が来るのだろうか。
「…………まだ泣いているのか」
「涙が止まらぬのだ」
「そうか……だがあまり泣くな」
体を縮こまらせて泣く家康の頭に、そっと伸ばした手を置いてみる。
これが自分を恋い慕ってくれる男、そして自分も愛おしいと思える男。堅そうに見えるのに触ってみると柔らかい髪を指先でそっと撫でると、家康がくすぐったそうに肩を揺らして身を捩ってみせた。
「三成は儂を泣かせたり笑わせたり……一体儂をどうしたいというのだ?」
泣き笑いとしか表現できない顔であったが、ようやく家康は少し顔を上げた。
どうすればこの男の心を手に入れることができるのか、そんなことを考えたことなど一度もなかった。同性への愛情など実らなくて当然、おまけに自分は豊臣に全てを捧げているのだ。ただ家康の側にいて、彼と肩を並べて戦うことができれば満足だったというのに。
彼も自分を思っていてくれると知ってしまうと、少し欲が出てきてしまう。
彼は夕刻には戻ってしまう、次はいつ会えるのかわからない。だから彼の事、そしてかれが自分を愛してくれているという事をこの身に刻み込むために。
もう少しだけ彼に触れてもいいのでは。
「い、家康!」
「どうしたのだ、み、三成……」
「夕刻には三河に帰るのだったな」
「その……つもりだが……」
互いに男だ、そしてまだ若い。
愛しい相手が自分のことを思っていてくれているのだから、もっと触れたいと思うのは家康も同じだったらしい。三成に頭を触れさせたまま、目だけをきょろきょろと動かし。家康は必死に三成に触れる理由になりそうな物を探していたのだが。
遠くから近づいてきた足音が、一気に二人の体を硬くした。
「こんな朝早くに誰が来たというのだ?」
「あの足音は官兵衛だな……間の悪い時に」
三成の憎々しげな舌打ちと、家康の切なげなため息が綺麗に重なる。
そして調子っぱずれの鼻歌と賑やかな足音と共に、楽しげに襖を開けて室内に入ってきた官兵衛を思わず睨み付けてしまったわけだが当然彼には何の罪もなかった。
三成の体を拭くためらしい湯気の立っている桶を枷のついた手で器用に抱え、脇に何かが入っているらしい麻の袋を挟んで現れた官兵衛は自分がまずい時に戻ったことに瞬時に気がついたのだろう。
「その……な、お楽しみの所、すまなかったな」
「お楽しみではない!」
「じゃあこれからお楽しみだったのか? そういうことは三成の体が癒えてからにしろ」
「儂が病人に何かすると思っているのか? 今日は三成の体を抱きしめたかっただけだ」
「わかったわかった」
大きな体からは想像できないほどに繊細な動きで床に桶を置き、それを家康の方へ押しやりながら官兵衛は二人に向かって適当に頷いている。
まだ家康の頭に触れたままの三成を見て表情を緩めると、脇に挟んでいる物を体ごと三成へと差し出した。
「これはお前さんの物だ」
「貴様の脇に挟んだ物など触れるか……汚らしい」
「そんなこと言うなよ……この手で苦労して取ってきてやったっていうのに」
「一体それは何なのだ?」
布団の中の三成と、その隣にいる家康。
二人を交互に見つめながら、黒田官兵衛は唇を歪めながら厳かとも言える表情で口を開いた。
「これは死ぬ前に半兵衛からの……三成、お前さんに宛てた手紙だよ。あいつのためにも、そしてお前さんたちの今後のためにも……読んでやってくれ」
半兵衛からの手紙、その言葉に三成は大きく目を見開いた。
家康と殺し合えと三成に命じて死んだ、敬愛すべき軍師。彼が一体どんな手紙を遺していたというのだろうか。
正直、読むのは怖い。
だが半兵衛の思いを受け取らなければいけないという思いの方が、三成の中では強かった。自分と同じ病にかかった秀吉のことだけを思って死んでいった半兵衛、彼が自分に何を伝えようというのか。
小さく息を飲み、だが決して目をそらさず。
「わかった」
と短く答えた三成が、家康の頭に置いていた手で手紙を受け取ったのを見て。
官兵衛は満足げな顔で、小さく頷いてみせたのだった。
家康に肩を抱かれた三成が時折目元を拭いながら手紙を読み進める様を、官兵衛は無言で見守り続けていた。
手紙の中身は読まずともわかっている。
半兵衛が死す前に小さな文机の奥底に遺した、三成に向けた謝罪と愛情が込められた手紙。複雑に木を組み合わせ手順通りに動かしていかなければ開くことのない隠された空間にあるそれを枷のついた手で取り出すのは大変だったが、それも全て三成のため。半兵衛が三成を憎んでこのような状況に追いやったのではなく、苦渋の決断であったことを知っておいてほしかったのだ。
己に向けられた愛情があったということ、その思いを受けて未来を紡いでいかなければならないこと。
三成にはそれを、そして家康には半兵衛が何を考えて二人を殺し合わせようとしていたのかをあの手紙は教えてくれる。多少どころではなく口惜しいが、官兵衛が二人から離れている間に二人は互いの思いを確かめ合ったのだろう。
三成を気遣いながら汲めども尽きぬ愛情を眼差しで注ぎ続ける家康と、それを濡れた瞳で受け入れている三成の姿。互いへの愛情に満ちた眼差しを交わしあう様子を見れば、馬鹿でもわかることだ。
愛しい相手が目の前で他の相手と心を結ぶ様を見せられるのは正直辛いが、その反面喜ばしくもあった。
これで三成は何があろうとも自ら死を選ぶことはない。
ずっと前から思っていた相手が自分のことを愛してくれている、その事実は半兵衛の策に動かされることこそ正しいと信じている三成を変えてくれるだろう。家康を生かすだけではなく自分も生き抜きたい、そう思ってくれれば官兵衛はもうそれだけで良かったのだ。
生きてこの世にいてくれるだけでいい。
幾重にも巻かれた手紙をほどきながら読み進める三成の目には、もうわずかな影も存在していなかった。半兵衛の思いを知り、家康と体を寄せ合い。口元にわずかな笑みを浮かべる姿を見て心底ほっとした官兵衛だったが。
確かあの手紙には何カ所か今の三成に読ませてはいけない場所があったのでは。
体調もすっかりよくなった様子の三成の姿に安堵させられすっかり忘れていたが、この手紙には大谷吉継への対処についても書かれていたはず。それに官兵衛が思い当たった時、三成と家康の目はもう該当する場所へとたどり着いていた。
「…………半兵衛様は……刑部を…………」
「いや三成、すぐに刑部を殺すわけではないはずだ。もし刑部が何かを行おうというのなら……ということなのだろう」
「しかし刑部は……っ! 私だけならまだいいのだ……だが刑部を殺すことまで考えていたというのか!?」
もし大谷吉継の所行があまりにも非道なものであった時のみ、半兵衛の配下の者は大谷吉継を殺害し、それを徳川方の仕業として戦を開戦させる。半兵衛が用意していたその策に最初読んだ時は驚いた官兵衛だったが、今こういう立場になってみたからこそわかることがあった。
大谷吉継が望むがままに動けば、また多くの血が流れる。
彼の憎悪が人々の心を荒らし、全てが狂っていった。大谷を殺して止めることもできるだろうが、友を誰よりも思っている三成はそれを望まないだろう。そして彼が望まないことを、官兵衛は当然行う気はない。
先ほどまで柔らかくほころんでいた唇を強く噛みしめ、堪えることができなくなった涙をぼろぼろとこぼしはじめながら嘆く三成を家康は無言で半ば抱きしめるようにして支えていた。
さすがの家康も半兵衛の非情さに言葉を失ってしまっている。
ならばここは自分が口を開かなければ話は進まないだろう。そう考えた官兵衛は、言葉無く落ち込む二人の青年を慰めるように優しく話を切り出し始めた。
「……小生は、これも半兵衛の奴の愛情だと思っているがな」
「殺すことが……愛情だと?」
「自分の策の道具にしちまうことになる三成……お前さんとは違う意味で、あいつは刑部のことが心配だったんだろうよ。知っての通り、あいつの寿命はもうそんなに長くない。健康すぎてどうしようもない奴らにゃわからんかもしれんが、自分の死と常に向き合うっていうのはそいつの心を壊しちまうものなんだよ」
「…………半兵衛は、刑部が狂う前に殺してやろうと思ったというのか?」
少し考え込んで、小さくそう口にした家康に向けて官兵衛は大きく頷いてやる。
「傲慢すぎる考え方かもしれんが、いつ死ぬかわからんからこそ周囲を苦しめるようになる前に終わらせてやりたい……そう思っちまったのかもな。だから半兵衛のことは許してやってくれ……あいつもきっと……苦しんでたんだよ」
「……どうして……あの時私に何も告げてくれなかったのですか……半兵衛様……」
「過去を悔いてもその時に戻る事なんてできないんだ、それこそこの世をひっくり返すほどの『奇跡』でも起こらなきゃな」
その『奇跡』のおかげで家康と官兵衛はここにいるのだ。
昨夜三成の看病をしながら家康から聞いた話で、なんとなくだが今の状況を理解することができた。
家康があの戦場で望んだのは自らの手で殺してしまった三成を救うこと、そして官兵衛もあの時三成の遺骸を抱きながら一つのことを願った。本来なら家康の願いで過去の戻ることができるのは家康一人だけなのだろうが、官兵衛はあの時願ったことによって石田三成という存在と強く結びつけられてしまったらしい。
だからこそ三成が生存する未来を望んだ家康の願いは官兵衛にも作用した。
これはまだ推論でしかないが、三成や家康と深い友誼を結んでいた存在にもその影響は少しだが及んでいる可能性がある。苦痛と絶望に満ちた未来ではなく新しい未来を切り開きたい、魂の奥底にその思いを刻み込まれている人間が自分たち以外にいるとするならば。
これからの戦いはかなり楽なものになるだろう。
「さて、少し話をさせてもらうとするか」
二人の目をこちらに向けるために大きめの声を出し、官兵衛は枷に繋がれた手を膝に置く。これからしなければならない話は若い二人を幸せにするための、そしてこの国に平和な未来をもたらすために必要なもの。
官兵衛の声に込められたそんな意志を、二人も理解したのだろう。
体を触れあわせたままであったが姿勢を正し、澄んだ瞳を彼らはこちらに向けてきたのだった。
「話してくれ官兵衛、儂はどんなことでもするつもりだ」
「家康がそう言うのなら……私も貴様を今だけは信じよう。だが私は刑部を見殺しにする気はない、それもわかっているのだろうな」
「当たり前だ。小生がお前さんの望みを叶えんわけがない」
にかっと笑ってみせると、家康の顔が一瞬だけ曇った。
官兵衛の前の前で三成の体に触れていることに対する罪悪感か、それとも別な思いからか。どちらであろうと官兵衛は二人の恋路を応援することにもう決めている。何をしようとも三成の心は自分のものにならないことを、官兵衛はもう知ってしまっているのだ。
だからこそあの時一つのことを願い、その結果ここにいる。
家康にそのことについて教えてやってもよかったが、もう少しだけ彼を困らせてやりたいと思ってしまうのも事実。自分が欲しくたまらないものを手に入れ、天下まで手に入れることができる男に少しくらい嫌がらせしても許されるはず。
気づかれぬように吐息に混ぜて小さく笑いを漏らし、官兵衛は熱は下がったがまだ頬がわずかに赤い三成を見つめながら話を続けた。
「刑部に実権はできるだけ与えんつもりだ……あいつの体のこともある、無理に仕事を任せれば死期が早まるしな。そのかわり三成、お前さんが全てを取り回す必要があるぞ……できるか?」
「刑部が表に出なければ戦を行う理由にもできぬということだな。それで刑部を守れるというのなら、私はどのようなことでも行ってみせる」
「お前さんを勝たせるためなら、刑部の奴は何をするかわからん。ついでに全ての悪行は自分が行ったと言いかねん……死期の近い奴は捨て鉢になりがちだからな。まあ刑部の件は後でもう少し詰めて話をするが、まずは家康……そして三成」
お前ら、一度殺し合え。
互いに生き延びるための戦いだというのに、こいつはいきなり何を言い出すのか。
そう言いたいのだろうが驚愕のあまり硬直してしまっている二人に向けて笑いながら首を振り、今の言葉がある種の冗談であることを態度で告げてやる。
「……殺し合うくらいの覚悟でやりあえって事だ。一度お前さん方が争いあう姿を多くの人間に見せてやらないと、小生の策はそれ以上先には進まん。全力でやりあった上でお前さんたちが出した結論だからこそ、人は動く。だからこそお前さん方が本気で戦い、思いをぶつけ合わせる様を見せてやらなければな」
「…………儂に……三成と戦えと?」
「生かすために戦うんだよ」
「もし三成が儂の拳の前に身を投げ出したらどうするのだ? 三成の体を儂の拳で……傷つけることなどできぬ」
「だがな……」
「甘えるな」
家康にこの策を受け入れてもらわなければ。
そう思い言葉を尽くして説得しようとした官兵衛を止めたのは、刃の切っ先のような鋭さを持った三成の声であった。
三成がこんな声を出す時はいつも、何かと戦う覚悟を決めた時。
だから官兵衛は自分で家康を説得することをやめ、三成に全てを任せることにした。
「貴様は私から……秀吉様から逃げる気か?」
「儂が……逃げる?」
「私は半兵衛様の遺志を受け入れる。その上で貴様を愛し……戦うつもりだ。秀吉様を殺した貴様とは決着をつけねばならないと思っていたところだ」
「三成とは戦いたくないのだ」
「そのような女々しい男に私を思う許可など与えない」
冷たい目線を投げた後、ついと首を別な方へと向け体まで家康から離そうとする。
聞いている官兵衛からしてみれば三成からの熱烈な告白にしか感じられなかったのだが、家康には効果絶大だったらしい。
途端に顔を青くして、離れてゆこうとする三成の体を力を込めて抱きしめ。
「わかった、儂も覚悟を決める!」
顔を強ばらせながらではあったが、そんな決意を口にしたのだ。
あの戦を越えた後、常に笑顔で周囲を鼓舞し続けてきた人間とは思えない程、家康は負の感情を表に出すようになった。それだけ三成の死は彼の心に影響を与えたのだろうが、官兵衛は今の家康の方が好ましいと思っている。
何があろうとも揺れない心を持つ主君は、仕える人間に安心感を与えてくれる。
だが何があろうとも本音を吐き出さない人間を、官兵衛は信用する気にならなかった。だからこそ以前の家康には疑いと敵愾心しか持つことしかできなかったわけだが、今の家康は年相応の迷い悩む背年にしか見えない。
これならば彼ともうまくやっていくことができるはず。
三成に冷たく叱責され、彼に嫌われるくらいなら覚悟を決めようと家康は思ったらしい。その目に澄んだ輝きを宿らせながら、三成の耳元に謝罪の言葉を囁き続け。
言葉を尽くす度に少しずつ態度が軟化していく三成を見て顔を緩ませる。
恋人に拗ねられて落ち込み、機嫌を直した相手の姿を見て喜ぶ。そんな普通の青年らしい姿を見ながら、官兵衛はできるだけ事務的に彼らに話しかけた。
「そろそろ……話を戻したいんだが」
「そうだな、話を続けろ」
「すまなかった」
「いちゃつきたい気持ちはわかるがな、少しだけ我慢しろって。状況が落ち着けば、朝まで二人で睦み合ってても誰も文句を言わんようになるんだからな」
「む、睦み……っ!?」
自分で口にするのも恥ずかしいのか、自分の口を塞ぐようにして三成は言葉の続きを封じ込める。いちいち反応していたら話が進まないと思ったのか、それともそういう言葉に反応してしまう自分を家康に見せるのが嫌だったのか。
もじもじしながら官兵衛に続きを話しだせと目で言い続けていた。そんな三成を更に混乱させたのは、あっけらかんとした家康の言葉だった。
「睦み合うとはどういう意味なのだ?」
「なんだお前さん、知らんのか」
「何度か聞いたことはあるのだが……忠勝が儂は知る必要がないといって教えてくれなかったのだ」
「臣下がそう言うのなら、別に知らなくてもいいだろうよ」
「だが三成は知っているのだろう?」
いきなり話を振られた三成は、彼らしくないほどにおろおろしながらあちこちを見回し。どうしていいのかわからなくなったのか、唐突に勘兵衛に向けて大きな声で叫んだ。
「官兵衛、貴様が悪い!」
「そういうことにしておくか……」
「結局儂には教えてくれぬのか?」
「三成が布団から出られるようになったら、夜通し教えてもらえ」
「そうか、頼んだぞ三成」
「あ……ああ……」
歯切れの悪い返事をした三成は、家康の体に強く体を寄せ胸元に顔を埋めてしまった。
悪いことをしてしまったと思いはしたが、自分はこれからずっと彼らの仲良しぶりを見せつけられることになるのだ。少しくらいは意地悪したって罰は当たらないはず。
急に自分に強く体を寄せてきた三成を怪訝に思いながらも優しく抱きしめてやっている家康を笑い混じりで睨み付け、官兵衛は話を続けることにした。
「お前さん方の戦いが終われば、次は周囲と話し合わなきゃならん。お前さんも当然味方について欲しい奴がいるんだろうが……小生の指示に従ってもらうぞ」
「それは……どういうことだ?」
「この国全ての将たちを動かし遺恨が残らぬように終わらせる、小生が目指すのはそれだ。だからこそ勝手に動かれちゃ困るんだ。お前さんの友人である長宗我部元親……あいつにはこちらについてもらう」
どうして、何故。
官兵衛へ疑問とわずかの不信感をぶつけてくる家康に、官兵衛は懇切丁寧に一つ一つ。彼と三成の両方を納得させるために、今後について語り始めた。
自分たちのためではなく、自分たちに関わった存在全てを生かす戦いをするために。
_____________________________________________
ここまで書いたので、少しいいわけを。
この話のプロットに関しては1月くらいに完成しておりました……月孤譚が書き終わる前くらいですね。当時人気沸騰の某アニメ……とかぶるかなあと思っていたのですが、どうしてもこの流れがやりたかったので没にしないでそのまま始めてしまいました。
~偽~の展開を踏襲して、それを乗り越えるハッピーエンドが書きたいと思ったのです。
これから~偽~で書かれなかったことの補完をしながら進んでいく予定です、まあぼちぼちおつきあいください。
BGM「流星ミラクル」
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色々説明
拍手現在豊臣家転生パロ中学生編入ってます
(現在2本 家三 チカナリです)
注意事項
・フリーリンクじゃないです、基本的にはリンクはお断りしています
・ひっそりこっそりが信条なので、黙々と
・捏造、not公式のこばなしが多いので、スルー推奨
ラキドでは幹部全員を溺愛しておりますが、ベルナルドとイヴァンは特に偏愛。ばさらは家三とか奥州の愉快な仲間達と毛長がメインです。うずみさんが現在官三とか官佐にずっぽりとはまり中。
基本は、愛想のかけらもない「ネット怖い~」の書き手が二人で色々書いている場所です。
書いている人
みっし
・生真面目で堅物でムキムキな男性と一見そうじゃなくても根は真面目極まり ないキャラをこよなく愛している、がんかたうるふの片割れ。編み物とお菓子作りが趣味という、第三者曰く可愛らしい一面を持つ反面、パニクると踊ったり、オロオロしだして周囲は見ていて楽しいらしい。荒ぶる舞は、職場の名物だったりする……らしい。
イヴァンちゃんと片倉さんとシズちゃんとスカイハイさんと陛下を思いっきり愛している。好きなアニメは銀魂と最近はFate/zero。型月ファンというよりは元から虚淵ファンでうずみさんからオススメされまくった末にようやっと手を付けて完読した。ライダー組おいしいです。エクシリアではダントツで陛下が好き。陛下が使用可能になる完全版があるなら複数買いしても構わないとのたまう日々。バサラの好きキャラは片倉さん一強だったはずなのに最近はアニキも熱い。かっちり着込むキャラがすきだったはずなのにいきなり露出度が高いキャラを好きになったのは何故か悩む日々。二次元の向かう愛と同じぐらい甥っ子への愛を叫んでいる気がしてならない。
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