こちらはサークル「がんかたうるふ」のうずみとみっしの二人組が、ラッキードッグ1とばさらのこばなしを黙々と投下する場所です。
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駆けつけた戦場は、稲光が走り、その輝きで大地が濡れた輝きを放ち続けていた。
幾多の屍、そして今にも息絶えようとしている兵たち。断たれた鎧の破片と武具があちこちに突き刺さり、生えていたはずの下草すら兵たちの動きで全てはがされてしまった中。
西国無双の呼び名を持つ男は、政宗の到着を待つかのようにそこに静かに佇んでいた。
体の各所に矢が刺さり、兜は失われたのか壮年特有の薄くなり始めた頭髪を晒し。
ここで戦が行われていたとは思えない程の静けさを慈しむかのように辺りを見回していた立花宗茂が政宗に最初に告げたのは、足元に横たわる鶴姫の遺骸を丁重に弔って欲しいという願いだった。
愛らしく無垢な少女は、手の先までを泥にまみれさせ。
雷切に抉られた傷を周囲に見せつけながら、伊予河野の巫女姫はその短い生涯を閉じていた。
戦はそういう物、どれだけ有利な戦であろうとほんのわずかの気の緩みで命を失うことがある。それはわかってはいたが、何故こんな事になってしまったのか。
この少女は、まだ死ぬべきではなかったのに。
鶴姫を討った相手に怒りを感じる前に、湧き上がってくるのは悲しみ。口うるさく政宗に色々言ってくるので苦手ではあったが、年相応の可愛らしさを持っていることも、その愛らしさで他の軍の将たちに愛されていたことも政宗は知っていた。家康ですら勢いに押し切られ、苦笑しながら彼女の願いを叶えることすらあったのだ。
彼女が死んだと知れば、どれだけの人間が悲しむだろうか。
それを立花宗茂にぶつけてやろうと思ったが、彼の方がそれは理解していたらしい。
妻と幼い主君の名を呼び、立花宗茂は自らの体に雷切を突き刺し。
彼は政宗を証人として自害することを選んだのだ。
それから後のことは、思い出したくもない。
数少ない立花軍の生き残りへ降伏を勧め、姫を失い瓦解している伊予河野の軍を保護し。泣き暮れる老兵たちを自分の陣へ連れて行ってやりながら、両者の話を聞いてやる。
先に仕掛けたのは立花。
降伏して欲しいと願ったのは鶴姫。
だが自らの手で主君を殺し、妻に離縁された男にはもう道は残っていなかったのだ。主君と年が変わらない少女に諭され、まだやりなおすことができると伝えられ。
我を忘れた立花は、鶴姫の命を奪った。
主君を討ったことをずっと彼は後悔し続けていたのだろう。だからこそ鶴姫の姿に主君を重ね、そしてその姫すらも殺し。全てを失った立花は、主君へ詫びるために逝ったのだ。
そう思ってやらなければ、姫も立花も報われない。
悲しみを押し殺し、伊達家の本陣を取り仕切っていた小十郎に伊予河野の軍と立花軍を預け。一切動きを見せない毛利軍をいぶかしみながら、精鋭の騎馬たちと共に戦場を突っ切る。
ちょうど中央では石田三成率いる軍と、徳川と北條が混在した軍が戦いを始めていたところだった。
まだ大将である徳川家康は出てきていないのか、石田軍はただ前に向かって突き進む。ここに乱入し石田三成を討ちたいところだが、今の政宗には別な目的があった。
北條軍の裏を通るようにして戦場を避けると、見えてくるのは純白の軍勢。
軍神上杉謙信が率いる精鋭の軍は、甲斐の軍勢と互角以上に渡り合っている。動き始めてはいるが緩慢な動きで明らかに統率がとれていない長宗我部軍を軽くあしらい、側面から責めてくる幸村に軍勢を集め。
その采配ぶりには惚れ惚れさせられるが、ただ見続けていただけではここに来た意味がない。
新たな軍の接近に一瞬ざわめくが、すぐに落ち着きを取り戻した上杉軍。彼らの内に入り込み、まだ前線へと切り込む様子すら見せていない謙信の姿を見つけ彼へと馬を近づけていく。
「どくがんりゅう きたのですか」
「あっちは静かすぎてな……暇つぶしだ」
「みこひめはいきましたか」
「…………ああ」
「ことわりをやぶったむくいなのでしょうが ざんこくなものです」
その白皙の美貌を悲しみに曇らせ。
白馬の上で嘆く謙信の姿に、周囲の兵たちからため息が零れる。年齢どころか性別すら推察することすらできないこの存在とは何度か戦ったが、いずれは戦うとしても今は敵に回したくない。
軍神の側にいることで生まれる安心感の中、政宗は目を伏せる謙信に戦の状況を聞く。
「こっちはアンタが優勢ってところか」
「いまはけいじがさなだゆきむらと」
「オレも遊ばせてもらっても構わないよな、当然」
「てをさしのべるのですか さなだゆきむらに」
その言葉は、生前の鶴姫が政宗に向けた言葉と同じだった。
家康と自分と、そして雑賀孫一以外知らないはずの言葉を何故彼が。
背筋に寒気が走るが、誰がなんと言おうとも政宗は自分に止まることを許すことができなかった。この向こうに自分が認めた最高の好敵手がいる、そして彼は道を踏み外そうとしている。
一発殴ってでもそれを止めたい、そう願って何が悪い。
「あいつはオレのrivalだ」
それだけを口にし、謙信から距離を置き始める。
自分の動きを見て後についてくる騎馬兵たちに頷いてやり、戦に投入される時を待ち続ける幾多の兵士で構成された波を抜け。伊達政宗は一度に二つの軍を相手にしながらまだ余力を残している上杉軍の恐ろしさを肌で感じながら、ついでに上杉の戦力を確認していこうかと気付かれぬように周囲を見渡している時。
「あれは…………なんだ?」
残してきた小十郎と相対する位置に展開している毛利軍。
その中央からまるでこれから花でも咲くかのように、巨大な蕾のような黒く揺らめく物体が生まれ始めたのを見ることになるのだった。
「…………きれいな……おはなをたくさんつんで…………さまに……」
澄んだ声と共に、兵の首が地面にばらまかれる。
突如毛利軍の中央に現れた漆黒の羽衣のような朧にその身を包まれた美女は、周囲を取り囲む兵たちへとふわりとした笑みを向ける。艶やかな微笑みだというのに背筋を凍り付かせるそれに敵意剥き出しの視線を真っ向からぶつけ、毛利元就は総崩れになり背を向けて闘争し始めている兵へと叱咤混じりの命令を飛ばす。
「何をしている! 矢を射かけ足を止めよ! あれは火のある場所へとは近づいておらぬ……油を流し火矢を使うのだ!」
何が起こっているかはわからない。
だがここで自分まで場に呑まれてしまえば、兵たちは更なる恐怖に縛り付けられ無駄に殺されていくだけ。あれが現れた衝撃で兜は飛び、毛利の側にいた臣下たちは根こそぎ首をもぎ取られた。
徳川方があんなものを使っているという噂は聞いたことがないし、あの人の良い君主は味方だけでなく敵の被害も少ない策を選ぶだろう。
ならば毛利軍を襲わせた人物はただ一人。
「大谷め……同盟軍すら襲うか」
一時的とはいえ、あの男に手を貸したのは失敗だった。
地面から無限に湧き出てくる漆黒の腕に凄まじい勢いで兵たちが殺される中、生き残ったわずかな兵の中には油の入った樽を麗しき女の姿を纏った恐怖の方へと向けようとする者がいる。勿論そんな行為が目に入った瞬間、その兵ごと樽はたたき割られ破片と肉塊を生み出すことになるわけだが。
その周辺には油溜まりができあがっている。
あの近辺に追い込み、火をかければ一時的だとしても撤退させられるかもしれない。通常ならば簡単に成すことができるが、今は兵の士気が落ちているだけでなく絶対的な恐怖が目の前にいる。
戦友であった物の四肢に躓き、濡れた大地に叩きつけられ。
顔を上げれば血がふりかかる。
それがすぐに自分にも訪れるということを見せつけられながら戦える者など、そうはいないのだ。
輪刀で間断なく襲いかかる刃であり鈍器である闇を振り払いながら、思い出すのは片目の鬼のこと。あの鬼ならば決して逃げはしないだろう、瀬戸内の海を照らす太陽のような暖かく目映い笑みを部下の兵たちに見せつけ。
そして自分が先頭に立ち、戦い続ける。
側にいてくれたら、そして共に戦ってくれれば。一瞬だけそう思ってしまったが、ここにいない者を当てにしても意味がない。勝利は自らの知略でもぎ取るもの、それができたからこそ毛利は安芸を治めることを民に許されていたのだから。
だからこそ自分の下した命令に命を賭す捨て駒たちの損害をできるだけ少なくし、彼らを連れて戻るつもりだったのだ。
ようやく毛利の目の前までやってきたこの女が現れるまでは。
「…………このこたちは……おなかいっぱいなの…………でもいちは……」
「市……その名は魔王の妹のもの…………なるほどな、貴様が第五天魔王か……」
「ねえ……さまをしらない……? ずっと……さがしているの……」
「貴様の探し人など知らぬ、他の所へ探しに行くのだな」
「それはだめなの……ここにはおはながたくさん…………さまのためにつんでいくのよ……ちょうちょさんがおしえてくれたの…………おはなをたくさんつんだら…………さまにあえるって」
黒い蛇に絡まれているかのように死を運ぶ腕を全身に巻き付け、笑う絶世の美女の足先を七色に塗れ光る黒い粘液が汚す。あの周辺には兵がばらまいた油が広がっており、彼女はまだそれに気がついていない。
今火矢を放てば足止めになるが、それを彼女に気付かれたら彼女は逃げるか防ぐかしてしまう。
彼女に気がつかれずに兵たちに合図を行おうにも恐慌状態に陥り散り散りに逃げ去っていく兵たちを再度統率する暇もない。
彼女を撃退することができるのは自分だけ。
気付かれぬように周囲を見渡し、会話を引き延ばしながら火を探す。まるで水から生まれた陽炎のように割れた樽から漏れた油があちこちで炎を上げているが、それを取りに行こうとすればこの女は毛利の体を貫くだろう。
まさに万事休す、だが不思議と恐ろしさは感じなかった。
この暗く重い雲に覆われた空は、この濡れた大地を繋いでいる。そしてそこには大谷に恨みをぶつけ本懐を遂げているはずの男がいてくれるのだ。
あの男がやり遂げたのなら、自分も。
ずっと戦い続け、互いのことをある意味肉親よりも知り尽くしているであろう相手に負けたくないという思いが毛利を支えている。
そして、自分を助けてくれると言ったあの男ならば。
兵を救わずに逃げようとする自分を馬鹿にするに違いない。
誰になんと言われようともあの男、長宗我部元親にだけは嘲笑されるわけにはいかないのだ。
「…………きれいなおはな…………ここにもひとつ……きれいにつんで…………さまにあげるのよ……」
「我の首級は貴様にくれてやれるほど安くはない!」
上下左右関係なく、一斉に襲いかかってくる闇を払うにも限界がある。
鎧を削り取られ、肉を裂かれ。噴き出す血に手がぬめり、輪刀を振るう手に力が入らなくなっていく。腸を食らいつくそうと襲っていた大きな腕を避けるために一歩飛び退き、体勢と立て直そうとしたのがまずかったらしい。
「…………つかまえた……」
足首に絡み締め上げてくる細く頼りなげな黒い縛め。
一気に膝まで這い上がってきたそれが毛利を逃がす気がないことを知り、続いて手と首まで圧迫感に侵され。
「…………いちのおはな……たのしみね……」
夢見るように微笑む闇の女王の様な女の腕からするりと抜け出した闇が幾重にも重なり、毛利を串刺しにするために狙ってきたのを見ても。
毛利は決して目をそらそうとしなかった。
自分の失策で軍を瓦解させたのだ、その責は自分が負わなければならない。だから最後まで相手を睨み付け、ほんのわずかな隙であろうと兵たちを逃がすために稼ぐ。そうしなければ安芸の国を守る軍備がなくなってしまい、あの美しい国は周囲の軍の侵略に汚されてしまう。
自分の策で守ることが叶わぬのなら、せめて兵たちだけでも。
天魔王の名を抱く女は、毛利を嬲るつもりはなかったらしい。
心の臓を正確に刺し貫き、続いて腹へと突き刺さり。一気に命を奪うついでに体の鬱側を食らいつくそうと、かき回してくる。
「………………がっ…………あ…………ぁ…………」
体の内側から響く音が、やけに耳に響く。
視界が暗くなり、全身を押そう激痛はますます強くなるというのに。毛利の体はいつまでたっても地面に倒れ伏すことがなかった。
それを疑問に思う間もなく、毛利元就という稀代の謀将の意識はあっという間に内側から暗い尽くしてくる闇にかき消され。血を急激に失った事で生まれる寒さすら感じることなく。
「…………悪い…………遅くなっちまったな…………」
最後に思った男が自分を後ろから抱き止めてくれていた事にも気付かず、最後に大きく安堵の息を吐き。
この戦場で最も安らかに、逝くことを許されたのだった。
「だぁれ?」
「こいつを拾いに来ただけだ……」
「それはいちのおはなよ……」
自分を守ってくれる黒い物は、目の前の翡翠色の鎧を着た『花』をそれは喜んで食べ続けている。それを見ているとお市も嬉しくなるのだが、急に現れた片目の男はこの『花』拾いに来たというのだ。
何故。
どうして。
自分から奪い取っていこうとするのか。
この男も体中からおいしそうな匂いを振りまき、体のあちこちを綺麗な赤に染めていておいしそうなのに。
昔夜話で誰かが話してくれた、怖い生き物の様な顔で笑うのだ。
「だめよ…………さまのおはななの……それは……」
「あんたにとっては『それ』でもな、俺にとっては守ってやれなかった相手なんだよ……」
「…………いや…………だめ…………」
怖い生き物の名前は鬼。
それを思いだしいた市は、まだ食べたいと騒ぐ闇の腕を翡翠色の花から無理矢理抜き出し耳を塞いでその場に座り込む。汚い色をしたものがどろどろとしたものが膝を濡らすが、そんなことを気にしている余裕はもうなかった。
恐ろしい鬼は愛おしげに市が先に手に入れたはずの花を後ろから抱き止め、時折よろめきながら愛おしげに触れてやっている。
市にもそんな記憶がある。
大切な誰かにぶっきらぼうな声で愛おしまれ。
不器用な愛の告白を受け入れ。
そして…………どうなったのだろう、それは誰だったのだろう。
「………………さま……どうして……いちはおもいだせないの……?」
いつも側に誰かがいてくれたはずなのに。
顔を両手で覆いぽろぽろと涙をこぼすが、そんなことをしたって大切な人の顔を思い出すことはできないのだ。市を拾ってくれた男に言われるがままに動いてみても、何も思い出せないし何もいいことはなかった。
自分はどうすればよかったのだろうか。
鼻を啜りしゃくりあげていると、目の前の鬼から優しい声。
「あんたは……迷子って事か。なら、一緒に逝くか」
「そこには…………さまはいる?」
「ああ、あんたを待っててくれているだろうよ」
片目を眼帯で覆い、全身を赤に染めた鬼は翡翠色の花を抱いたまま口を大きく歪めてみせる。
その姿があまりにも頼もしかったのと、自信に満ちた姿が市の探している存在に似ていたような気がしたので。
「…………いくわ……いちも…………さまにあいにいくの」
「そうかい」
それがその男の最後の言葉、そして男の懐から出てきた中で炎が揺らめく金属製の小さな壺が自分の方へ飛んできたのを見つめながら。
市が考えていたのは、ようやく大切な人に会うことができる、それだけだった。
長宗我部の配下が官兵衛のために用意してくれたのは、最速を誇る戦車であった。
馬よりも早くあらゆる障害を破壊しながら進むことができるが、目的の場所まで一切止まることができない。長宗我部が作り上げたという奇っ怪な形をしたその戦車に乗り込み、下手したら落車してしまうのではと思う程の強烈な風を浴びないために体を思いっきり伏せ。
まだ未完成だからか屋根と壁がないそれに乗りながら、官兵衛はようやく外してもらえた枷を静かに見つめる。
これのせいでひどい目にあった。
重くて移動の度に疲れ果て、これを外したいと一日に何度も思ったというのに。何故か鈍くて重い鉄球に礼を言いたくてしょうがなくなっていたのだ。
おかげで三成を更に知ることができた、彼を愛せた。
どれだけ尽くしても、愛しても。決して官兵衛に振り向くことがなく、ただ一人だけを思い続けた三成。きっと今も家康の名を何度も呼び、彼との思い出を愛おしみながら。
戦い続けているのだ、家康に殺されるために。
彼と家康の争いの最中に間に合えば官兵衛の勝ち、間に合わずに三成が死を選んでいれば官兵衛の負け。普段の不運ぶりを考えると、それは分の悪すぎる賭でしかないのだが。
頼むから間に合ってくれ。
二人の間に割って入ることができないというのならば。
せめて三成が事切れる前に、どうしても。
彼に言ってやりたい言葉があるのだ。
風に飛ばされぬようその辺にある突起物にしがみつき、そしておおまかではあるか三成のいる方向へと舵を向けようとしてくれている長宗我部の部下たちに心の中で礼を言いながら。
大きく揺れ続ける戦車の上で、祈り続けていたのだった。
真田幸村は全てを理解していた。
三成が佐助を望んで殺したのではないということも、前田慶次が佐助を陥れようとして呼んだわけではないことも。だがそれがわかったから佐助が帰ってきてくれるわけではないことをも知っていたのだ。
彼は死んだ、自分ではなく前田慶次のために動いて。
自分のために死んでくれれば幸村は自分を責めるだけで済んだのだ。
未熟な己のために佐助が死ぬことになった、それだけ考えられたらどれだけ救われただろうか。
だが佐助は前田慶次のために死んだ。
自分だけなら逃げることもできただろうに、彼は慶次の身の安全を考えて大谷に自ら囚われることを選んだ。前田慶次が使えるべき主であれば賞賛されるべき行為、だがあの忍びの主はぬしのはず。それを何度も告げ幸村を追い込んでいった大谷は、こうも言ったのだ。
ぬしは佐助に捨てられたのよ。
前田慶次を選んだ忍びに、情を残すことなど無い、と。
だが幸村は佐助を忘れられなかった。
自分のために心を砕いてくれた、兄のような家族のような忍び。お前の忍びは忍んでいないと馬鹿にされたこともあった、佐助に怒られたことなどそれほど数え切れない程。
これからもずっと、一緒にいるはずだったのだ。
前田慶次さえいなければ、彼が佐助と親しくさえしなければ。
だから、佐助が生きているなどと言う世迷い言を言うこの男が憎い。
「死ね…………お前など……死ねばいいのだぁぁぁぁぁぁ!」
「幸村、落ちついて! 本当に佐助は死んでないんだって、今は島津の所に……九州にいて…………」
「そのような世迷い言、俺が聞くと思っているのか!」
幸村の双の槍を慶次は何とか受け止めながら、こちらには一切攻撃してこようとしなかった。
幸村の槍に貫かれぬように距離を置く上杉軍の兵たちと、自分に付き従ってきた兵たちがその周囲で争いを繰り広げていたが戦況はどう考えてもこちらが不利。幸村に従う、お館様の思いを継いでくれと言っていた者たちは、佐助の死を境に幸村に反感を抱くようになった。
佐助を殺したのは石田三成、だが配下の裏切りも知らずに放置して甲斐の名を汚したのは幸村。
そう陰で言っていた者たちを、幸村は大谷に言われるがままに切り捨てた。紅丸の赤い首輪を見る度にそれをこしらえた佐助を思い出したので、あの忠実な獣も屋敷の外へと追い出した。そんなことをを続けているうちに誰も幸村に逆らわなくなったが、捨ててしまったものはあまりにも多かった。
家族のようであった佐助。
自分を兄のように慕っていてくれた紅丸。
そして友であった三成。
宿敵として自分を認めてくれていた政宗すらろくに話もせずに追い出してしまったのだ、もう誰も自分に手を差し伸べてくれはしない。
だから幸村は嘆き、怒る。
思いのままに槍を振るい、憎しみをそのまま慶次へとぶつけるしかもう。
幸村の生きる道は残っていなかったのだから。
「佐助は真田に会える日を待ってる、だから…………っ」
「お前が佐助を殺したくせに、何を言うっ!」
「死んでないんだ!」
「…………」
何度打ち込まれても、その体に傷を増やそうとも決して反撃してこない慶次。
本格的に雨が降ってきたわけでもないのにぬめる地面に足を時折取られながら、口から吐くのは燃えるような息。一体どこから生まれたのか、もうそれすらわからなくなった憎悪を内に抱えたまま、漆黒の戦装束一式の幸村は吠え、そして槍を振るう。
「…………さえ、お前さえいなければ!」
「俺は佐助と約束した、幸村と一緒に迎えに行くってね。だから……俺もここで死ぬわけにはいかないんだ!」
「戯れ言を!」
幸村の双の槍を、慶次は己の大刀を大きく振り回すことで弾いていく。
柄で槍の穂先を跳ね上げ、体勢を崩した幸村を深追いすることなく幸村の次の手を待ち続ける。そんなことを続けていても何も変わらぬというのに、慶次は幸村を説得することを諦める様子はなかった。
「佐助は九州で待ってる、だから俺と一緒に行こう! まだやり直せる……佐助が待っていてくれるんだ、だからきっと……」
「やり直せるだと? お前に何がわかる」
「やり直せるよ」
慶次の体に刻まれた傷は、幸村のそれよりも多い。
だがその目から強く優しい光が消えることはなく、心を闇に落とした幸村を照らすかのように温かい眼差しを注いでいた。人としての大きさを如実にあらわしているその瞳の強さは、生涯を掛けて追い求めるべき好敵手を思い出させてくれる。
だがあの青き竜の鮮烈な輝きを受け止める資格を、今の自分は持っていない。
悲しみに目を曇らせ、憎しみに身を任せ。
慶次を討つためだけにあらゆるものを捨ててきたのだ。もし慶次の言葉が本当だったとしても、それを受け入れてしまったら。
佐助が死んでから自分のやってきたこと全てが、無駄になってしまう。
自分を友として信じてくれていた三成の思いも、自分が同じ高みに登るのを待っていてくれている政宗の思いも。そして自分を信じてくれていた甲斐の家臣達の気持ちも全て踏みにじったのだ。
信じるわけにはいかない、それを信じるのは幸村が死す時。
息を荒げ、何度も首を振って慶次の言葉を耳に入れないようにする。
「信じぬ! 何があろうとも……信じるわけにはいかぬのだ…………っ!」
「幸村……」
「お前さえいなければ良かったのだ……お前さえ……」
目から零れる涙を拭うことなく、ぼやけた視界で慶次に何度も襲いかかる。
それを交わす慶次の顔に困惑が滲み始め、長時間にわたる死闘が二人の手足から力を奪いつつあった時。
あっけなく終焉は訪れた。
命を燃やし尽くす勢いで戦い続けていた幸村と、こちらに刃を向ける時は幸村の槍を受け止める時だけの慶次の一方的な戦いは。
前田慶次の体を二本の槍が貫き、幸村の体に慶次の持っていた刃が突き刺さり。
大きな音を立てて倒れ伏した慶次の体の上に、幸村の体から零れる血が降り注いだことで結着を迎えたのだった。
「………………お……わった…………のか……?」
肩口から胸にかけてに刺さる巨大な刃は、幸村から凄まじい勢いで力を奪っていく。
最後まで幸村を殺さぬように気遣いながら逝った慶次の刃は、心の臓からそれた場所を貫いた。今なら手当をすれば助かるのかもしれないが、幸村が刑事の死を確認して最初に行ったのは泥の中に広がっていく慶次の血潮を見つめることだった。
鮮やかで鮮烈な紅の上で、慶次の髪を彩る飾り紐の端が揺れる。
この飾り紐の鮮やかな色合いを幸村は覚えている、いや……この色は幸村にとって大事な色だったはずなのに。
何故だろう、どうしてか思い出せない。
「仇は討ったぞ……佐助…………」
そんな言葉が口から出るが、それすら薄っぺらいものに感じてしまう。
血の味が広がりはじめる口内と、がくがくと奮え始める膝。全てをやり遂げたはずなのに感じる寂寥感と違和感、それを打ち消すために首を振ると額から流れ出た血が目に流れ込んできた。
途端に赤く濁り役に立たなくなった視界の中、考えるのは今後のこと。
前田慶次は殺した、佐助もこれで満足するはず。
それなのに、胸の中で何かが燻るのだ。
目指すものはこれではない、お前の求めていた高みは人を憎しみのままに殺して得ることができるものではないだろう?
そう教えてくれたのは、誰だっただろうか…………
まだ周囲では刀が打ち合わされ続け、人が無残に死に続けている。これが戦であり、幸村はその中で力を蓄え続けた。
ならば今しなければならないことは、また人を殺すことだろう。
遠くから響くのは騎馬の群れが生み出す轟音、そして慶次が死す直前に見た遙か遠くで突如生まれた巨大な炎の柱。確かあの方角には安芸の軍がいたはず、と一瞬思いはしたが。
幸村には関係のないことだったので、忘れることにした。
そのかわりに前田慶次の背に足を乗せ、力任せに槍を引き抜き。赤く霞んだ世界の中、全てを殺し尽くそうと決め。より強い音が響く場所へ槍を杖代わりにしてふらふらと歩み寄って行こうとした幸村を止めたのは、
「死体を踏みつけんのが、アンタの流儀だったか? 真田幸村」
忘れたくとも忘れられない、幸村にとって章がただ一人の男の声であった。
「…………政……宗……殿……?」
「これがアンタの望んだ結果なら……次はオレとの結着だな」
「政宗にそう言っていただく価値は……もう某にはございませぬ……某にできるのは一人でも多く上杉の兵を討つことだけ……」
「Shut up!」
声でしか確認出来ぬ政宗の厳しい語調に、幸村の歩みが止まる。
美しい青い竜は、常に天だけを見続けている。だからこそ自分と将来対等になってくれるであろう幸村を好敵手として認めてくれていた。今までそう思い続けていたのだが、それは少しだけ違ったらしい。
空を駆ける竜は、天だけを見つめていたのではなかったのだ。
「アンタはオレの物だ。価値がないって言うのなら取り戻せ、上杉の奴らを殺すために残していた力でオレと戦え! それが……アンタとオレの約束だろ?」
視力はまだ回復していない。
血が流れ続け、力が失われつつあることもわかる。
だが幸村の体は自然と槍を握り直し、声の響く方へとゆっくりではあったが槍を向けたのだ。
ただ一人の相手との、約束を守るために。
「それでこそ……俺のRivalだ」
政宗の満足げな声に、胸の中の何かが溶けていくのを感じる。命の鼓動と共に失われていく心が、政宗の声を聞くだけで輝きを取り戻していく気がする。
彼にそこまで言ってもらえるような物など、もう何も持っていないというのに。
「さっさと行くぞ……アンタとここで決着を付けたいんだがな、本陣に小十郎を待たせてる。アイツにアンタを預けて……オレは先に凶王狩りだ。アイツを倒して、オレは再び天へ戻る……そして傷を癒したアンタと決着を付け、次は家康だ」
「政宗殿……らしいで……ござるな……」
目から流れているのは、先程目に入った血潮なのか。
少しずつ回復していく視界、そこに映るのは蒼い輝きを決して失うことがない美影だった。幸村がが誰よりも焦がれ、そして求めた相手。
そして彼は、自分に向けて手を差し伸べてくれている。
「行くぜ、真田幸村」
「……………………は……い……」
ゆっくりと、彼に向かって歩んでいく。
佐助を失った、慶次も討った。もし佐助が本当に生きていたとしても、幸村が慶次を殺したことを知れば自分を憎むようになるだろう。
だから、幸村の内に残っているのは政宗との約束だけ。
全てを失って大切な物に気がつくというのも皮肉な話だ、そう思いながら小さく笑おうとして。
「筆頭、大変です!」
「どうした?」
「前田が裏切りました! 上杉の本陣に攻撃を仕掛けてます、こちらに来るのも時間の問題かと!」
「前田が……? どういうことだ?」
「わかりません、ですが勢いが凄まじく……」
「しょうがねえ、小十郎の所に戻るか。おい、アンタも行くぞ」
近づいてきた政宗にぐいと腕を掴まれる。
周囲は屍と煙に支配され、政宗と部下たちだけが動いている状態。政宗に肩を借りながら、ぬかるんだ大地に体を横たえている前田慶次の遺体を見つめ。
自分もすぐに後を追う。
その言葉を胸に抱き、遠くに見える前田軍の旗が近づいてくるのをぼんやりと眺めながら。
自分を置いていけば、政宗はもっと速く逃げられたのに。
政宗の馬の首に体を預けた幸村は、そんなことを思ったのだった。
「久しぶりだな、三成」
「そうだな、あの時以来か」
「お前に会えて儂は嬉しい」
「………………………」
幾多の自軍の兵を斬り、あの本多忠勝を一時的とはいえ撤退させ。
三成が北條と徳川、そして雑賀集の集まりを打ち破って家康の待つ本陣まで辿りついたのは戦が始まって数刻後のことだった。
その間に家康の耳に届いた報告は、この国を絆によって結びつけようとしていた家康の背筋を悲しみで震えさせるだけの重さを持っていたのだった。
鶴姫が立花宗茂に討たれ、その立花も自害。
そして上杉軍によって長宗我部軍と武田軍がほぼ全滅。
その後裏切った前田軍が上杉軍に背後から襲いかかり上杉軍も大きくその数を減らし、上杉軍の救援にやってきていた伊達政宗の軍勢も前田軍に巻き込まれ。
伊達政宗の死骸は、漆黒の戦装束を纏った真田幸村を庇うかのように事切れていた。
毛利軍の中央で謎の爆発があり、毛利元就の生死は不明。
そして前田家の軍勢がこちらに向かってこないようにと、ぼろぼろの体を押して出陣した忠勝がどうなったかすらわからない。
人が無駄に死に、嘆きが関ヶ原の大地を覆い。
それでも誰も止まることなく、死へと突き進んでいく。このような状況を起こさないために三成と戦う道を選んだというのに、どうしてこのようなことになってしまったのだろうか。
純白の陣羽織を血で染め、人を斬りすぎて刃が大きく欠けてしまっている刀を手に。同じく血と泥にまみれた虎を後ろに従え、三成は徳川の本陣へ一人でやってきた。
当然他の誰にも三成に手出しさせはしなかった。
火器や弓矢で狙い撃ちにしようとした者を三成がその様な物で止まるわけがないと言って止め、ただ一人で彼の前へと立つ。
たとえ誰がなんと言おうとも、三成だけは。
自分の手で止め、そして命だけは助けてみせる。
家康の前に立つためだけに千以上の兵を一人で切り捨て。
疲労の極みにありながらもそれをおくびにも出さないその姿に、家康の臣下たちからも賞賛のため息が漏れる。決して卑怯な行為は行わず、ただ真っ直ぐに己の力だけを信じて目の前に立ちふさがる討ち倒してきた三成を凶王と呼ぶ者はもういないだろう。
彼は一軍の総大将として、正々堂々と家康の目の前に現れたのだ。
それを喜んだのは家康だけではない、ぱたぱたと尻尾を揺らし赤い首輪を付けた白い巨体が嬉しそうに喉を鳴らしながら三成に従う泥まみれの虎へと近づいていった。嬉しそうに体を寄せ合う二匹を見て、三成の目が一瞬だけ和む。
「紅丸…………貴様…………何故ここに……」
「儂が預かっていた、詳しいことは……この戦いが終わってから話すとするか」
「では聞けぬということだな。私が貴様を切り捨てることでこの戦は終わるのだ、話を聞く暇などあるわけがなかろう」
「儂は話せると思っている」
会話の合間に、三成の体がゆっくりと前に倒されていく。
争いの合図とそれを受け取ったのか、泥まみれの虎の方が三成へと近づき。まるで別れを惜しむかのように、血に濡れた手を一度だけぺろりと舐めると。最後に一度だけ啼き、そして何度も三成の方を振り返りながら。
紅丸と体を並べ、骸の並ぶ地平の彼方へと向かい歩み去って行った。
それを見た三成はそれでいいとばかりに一度だけ頷いたが、それだけだった。ずっと付き従ってくれた一番の忠臣ともいえる存在の別れに感慨を抱く様子もなく、その目はただ家康だけを見つめ続け。
周囲を取り囲むようにして見守る徳川家の兵たちに一瞥すらくれてやることなく。
「死ねぇぇぇぇぇ、家康ぅぅぅぅぅぅ!」
光の矢のごとき速度で、石田三成は家康へと斬りかかってきたのだった。
受け止めれば手ごと切り落とされる、三成の斬撃はそれだけの力を持っている。それに対処するには、三成の攻撃をかわすのではなく。
「儂の話を聞いてくれ!」
正面から三成に攻撃すること。
凄まじい早さで大砲の弾のように突っ込んでくる三成は、直線的な攻撃に弱い。相手の攻撃を見切ることはできても、それを避けるには三成の体はあまりにも速度がつきすぎているのだ。
だから見切ることはできても、体の方向転換は難しい。
通常の兵の場合、三成の最初の一撃からまず逃げることを選択してしまうので、圧倒的な早さに負けてしまうのだ。過去何度も三成と稽古を繰り返してきた家康だからこそ、自分の喉元へと真っ直ぐに向かってくる刃から逃げることなく。
真っ直ぐに拳を突き出すことができた。
全力を込めた、だがけん制にしかならない拳での一撃を多分三成はぎりぎりでかわし、そして次の瞬間にはもう体勢を整えてくるはず。疲れ果てているはずの三成に同じ挙動が何回もできるとは思えない、動きが鈍ってきた時を見計らい彼の動きを止めなければ。
そう計算して拳を突き出した家康、彼がその瞬間見たのは。
これ以上ないほど幸せそうな、三成の微笑みだった。
どうして今そんな風に笑う。
目を見開いて三成に更に強く視線を合わせようとした家康が次に感じたのは、自分の拳が三成の体に突き刺さる感触。肉を突き刺し中の骨を砕き、愛しい人の体の内の臓物すら潰していく感触を味わいながら。
「…………いえや……す…………」
家康の拳を腹に受け、勢い余って遙か遠くへ飛ばされていく三成の姿を呆然としながら見ることとなった。
「三成! みつなりぃぃぃぃぃっ!!」
鞠か何かのように数度跳ねながら地面に叩きつけられた三成の体。
徳川兵のいない方向へとばされ、手から刀も飛び。ぴくりとも動かない三成の姿に、拳を突き出したままの姿で固まっていた家康の体がようやく動き出す。
三成は自分の拳をわざと体に受けた、家康に討たれて死ぬために。
どうしてそのようなことを、と思った時脳裏に浮かんだのはあの神社で離した時三成が最後に言った言葉。
すまない、と彼は言ったのだ。
それを長時間話せなかった事への詫びだと今まで家康は考えていたのだが、もしかしてあの言葉の意味は。
三成に生き延びて幸せになって欲しい、そう望む家康の気持ちを裏切る罪悪感から生まれた言葉だったのでは。
それに気がついた瞬間、全てが繋がった。
「…………最初から……儂に殺されるつもりだったのか…………」
兵たちの手前、泣くことはできない。
だから必死に笑顔を作り、崩れ落ちそうになる体を必死に支え。たとえ敵となったとはいえかつての友を弔いたい、周囲の兵たちにはそう見えるようにし。
家康はゆっくりと、駆け寄りたい気持ちを抑えて三成の方へと歩み寄っていく。
まだ三成は生きているのだ、きっと。家康が声を掛ければきっと三成は目を開け、そして。
先程の様に笑ってくれるはず。
生きてさえいれば、医師に診せられる。
そうすれば三成は体を癒し、また家康と共にすごしてくれるようになるはず。誰が反対しても、そのすべてをねじ伏せてやる。
三成さえ、生きていてくれれば。
口からこみ上げてきそうになる嗚咽を押さえ込み、もう少しで三成の顔を見ることができる距離へと。できる限りの早足で近づいてきた家康の目の前にその男が現れたのは、きっと必然だったのだろう。
泥まみれの虎と汚れを纏っていない虎を連れ、手を縛っていた枷は失われ。
目からとめどなく涙を溢れさせながら、黒田官兵衛は家康の前に立ちふさがるように立ち。そして三成の顔を家康に見せぬように、背を向けて座り込んだ。
「……官……兵衛……か……」
「遅くなっちまったな」
「よく……来られた……ものだ」
「長宗我部の所の戦車を貸してもらった……死ぬかと思ったがな」
「そう……か」
三成の声は耳を澄まさねば聞こえぬほど小さい。
体の内の骨がほとんど砕けてしまっているのだろう。壊れ物を扱うかのように優しく抱き上げ己の膝に三成を乗せた官兵衛は、三成の方へとそっと手を向ける。
官兵衛の背が邪魔して見えないが、きっと頭を撫でてやっているのだろう。
「貴様は……いつも…………だな」
「お前さんがいつまでたってもガキだからだろ。小生の言うことも聞かずに一人で飛び出しやがって……」
「す……ない……な」
「それがお前さんの決めたことだ、小生は従うまでさ。だがな、前も言ったがどうしても一言言ってやりたくてな……」
「……………………と……?」
途切れ途切れになっていく三成の声。
官兵衛の背を押しのけてでも話を、そのために拳に力を込めようとしていた家康を止めたのは。
官兵衛の心の底からの、涙混じりのねぎらいの言葉だった。
「よく頑張ったな……本当に……お前さんはよくやった」
「…………そ……か……」
「偉かったぞ……お前さんは……」
大の大人が涙で顔をぐしゃぐしゃにし、時折鼻水を啜り。
頭を大きく振りながら何度も三成のかすかな声に頷いてやっている姿は、事情を知らぬ人間には滑稽に映るかもしれない。だが三成の戦いを最後まで見守り、彼を守り続けた官兵衛だからこそ。
三成の最期を看取る権利があるのだ。
官兵衛が持ちかけてきた三成を生かす策を受け入れることなく、彼が三成を思っているという理由で拒否した。そして今も三成の思いに気がつくことなく彼をこの手で殺してしまったのだ。
そんな自分が三成に何を言えるというのか。
徐々に小さくなっていく三成の吐息、そして声。それら全てが完全に消え去るまでのわずかな間を三成と共に過ごすことができた官兵衛は、最後に一度だけ三成の顔に己のそれを寄せると。
三成の異常にぐにゃりとした体を抱き上げ、悲しげに泣きながら近づいてくる虎たちと共に家康の方を向いた。
「三成は……」
「死んだ」
短い言葉にこもっているのは、三成を殺した家康への憎しみ。
だが官兵衛はそのまま家康に向かってくることはなかった。愛おしげに腕の中にいる三成の体を見つめ、家康の背後にいる徳川の兵たちを見回し。
憎しみを押し殺した声で、自分に言い聞かせるかのようにそっと呟いた。
「三成を……ちゃんと弔ってやらないとな」
「…………………………」
「お前さんは国作りごっこを楽しんでりゃいい。小生は一生分の楽しい思いをさせてもらった……後の人生は三成の墓の掃除でもして生き続けるさ」
吐き捨てるかのようにそう言った官兵衛は、それが最後の言葉だとばかりに家康を最後に睨み付け。砕け汚れきった鎧を身に纏った三成を腕に抱いたまま、二匹の虎を連れ家康の手の届かないところへと歩み去って行ったのだった。
後に残されたのは、歓声に包まれる兵と絶望を顔に出すことすら許されない家康。ずっと降り続けていた霧のような細かい雨、それは家康の顔を濡らしはするが涙の代わりに頬を流れてくれることはなかった。
多大な犠牲の上に三成に勝ちはしたが、まだ前田家との戦は終わっていないのだろう。
遠くで揺れる前田家の旗が徐々に近づきつつある状況で、家康は浮かれ始めている兵に声を掛け前田家の鎮圧へと向かわせる。
三成を殺したのに、まだ戦わなければならない。
その事実に体を震わせ、自分の選んだ道が確実に間違っていたことに嘆く。
三成を救い、この国から戦をなくす。
そして三成を幸せに。
そう誓ったはずなのに、どうしてこうなってしまったのだろうか。
「……儂は……儂は……」
首の辺りでわだかまっている布を両手で引き寄せ、頭へと乗せる。
こうすれば兵たちに家康の顔を見ることはできない、今なら存分に泣くことができるはず。前田家迎撃の為に動き出した兵たちを見つめながら、家康はふらふらと濡れた大地を進んでいく。
三成との戦いで疲れたのだろう、そう判断した兵は家康に温かい眼差しを向けて陣を整えるために走っていくが。
家康にはもう戦う力は残されていなかった。
「………………………」
黒い雲の間から一条の光。
それが天から伸びた救いの光のように見え、家康は一度だけその言葉を呟く。
「………………たら……それができるのならば、儂はどんな代償でも与えよう。だから三成を…………」
三成を生き返らせてくれ。
その言葉を口にした次の瞬間、声のようなものが聞こえてきた気がした。
どのような代価でも、後悔はしないか。
長く険しい道を歩むことになるが、それでも。
頭の内に食い込んでくるような力を持つ声だというのに、周囲を走り回る兵たちの誰も反応していない。その声が自分だけに聞こえていることを知り、それが自分に返答を求めていることを理解した家康の答えは一つだけだった。
相手がどのような代償を求めようとも、三成を救えるのなら。
その言葉が自分に問いかけてきた誰かに届いたのかはわからなかったが。
空から降り注ぐ光が一瞬だけ光を増した、家康にはそれが了承の証の様に感じられ。崩れつつある精神を何とか奮い立たせ、近づいてくる前田家の旗に目を向けることなく。
その光に向かい手を差し伸べながら、最初の一歩を踏み出したのだった。
<輪舞~真~ へ続く>
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終わった……ということで、ようやく折り返し地点に到達です。
~偽~は官兵衛さんのターンでしたが~真は~官兵衛さんのターン……あれ? いや性格には家康さんのターンだけど官兵衛さんがますます美味しいポジションになっていく予定……
そんな感じで官兵衛さんバッドエンドの予定が官兵衛さんノーマルエンドくらいになって終わった~偽~でしたが、原稿用紙に換算して1000枚ちょいという凄まじい枚数になってしまいました。
色々と皆様言いたいことはあると思いますが……とにかくここが折り返し地点です、ここから怒濤のハッピーエンドに向かって突き進みますよ!
「うずみさんの書く物は誰かが死にますね♪」と可愛らしく応援してくれたみっしさん、続き待ってますと言ってくださった宇田様、そしてマイエンジェル護星天使ニカさん……もうとにかくみんなありがとう、そしてありがとう!
もっと言い訳というか裏話したかったんですが、今日は疲れたのでダウン……また後日入稿してから書きます。ただ一つ今書くとしたら……今回の関ヶ原での一番の勝ち組は毛利さんかと……あの人は最後の最後で救われてあの世に行けたと思っております。
多分、~偽~のペーパーは毛利さんと長宗我部さんになる予定。
ということで、実は書き下ろしももう書き終わっているので、あとは修正だけという状況で……寝ます、疲れた。
BGM「もしも君が願うのなら」
幾多の屍、そして今にも息絶えようとしている兵たち。断たれた鎧の破片と武具があちこちに突き刺さり、生えていたはずの下草すら兵たちの動きで全てはがされてしまった中。
西国無双の呼び名を持つ男は、政宗の到着を待つかのようにそこに静かに佇んでいた。
体の各所に矢が刺さり、兜は失われたのか壮年特有の薄くなり始めた頭髪を晒し。
ここで戦が行われていたとは思えない程の静けさを慈しむかのように辺りを見回していた立花宗茂が政宗に最初に告げたのは、足元に横たわる鶴姫の遺骸を丁重に弔って欲しいという願いだった。
愛らしく無垢な少女は、手の先までを泥にまみれさせ。
雷切に抉られた傷を周囲に見せつけながら、伊予河野の巫女姫はその短い生涯を閉じていた。
戦はそういう物、どれだけ有利な戦であろうとほんのわずかの気の緩みで命を失うことがある。それはわかってはいたが、何故こんな事になってしまったのか。
この少女は、まだ死ぬべきではなかったのに。
鶴姫を討った相手に怒りを感じる前に、湧き上がってくるのは悲しみ。口うるさく政宗に色々言ってくるので苦手ではあったが、年相応の可愛らしさを持っていることも、その愛らしさで他の軍の将たちに愛されていたことも政宗は知っていた。家康ですら勢いに押し切られ、苦笑しながら彼女の願いを叶えることすらあったのだ。
彼女が死んだと知れば、どれだけの人間が悲しむだろうか。
それを立花宗茂にぶつけてやろうと思ったが、彼の方がそれは理解していたらしい。
妻と幼い主君の名を呼び、立花宗茂は自らの体に雷切を突き刺し。
彼は政宗を証人として自害することを選んだのだ。
それから後のことは、思い出したくもない。
数少ない立花軍の生き残りへ降伏を勧め、姫を失い瓦解している伊予河野の軍を保護し。泣き暮れる老兵たちを自分の陣へ連れて行ってやりながら、両者の話を聞いてやる。
先に仕掛けたのは立花。
降伏して欲しいと願ったのは鶴姫。
だが自らの手で主君を殺し、妻に離縁された男にはもう道は残っていなかったのだ。主君と年が変わらない少女に諭され、まだやりなおすことができると伝えられ。
我を忘れた立花は、鶴姫の命を奪った。
主君を討ったことをずっと彼は後悔し続けていたのだろう。だからこそ鶴姫の姿に主君を重ね、そしてその姫すらも殺し。全てを失った立花は、主君へ詫びるために逝ったのだ。
そう思ってやらなければ、姫も立花も報われない。
悲しみを押し殺し、伊達家の本陣を取り仕切っていた小十郎に伊予河野の軍と立花軍を預け。一切動きを見せない毛利軍をいぶかしみながら、精鋭の騎馬たちと共に戦場を突っ切る。
ちょうど中央では石田三成率いる軍と、徳川と北條が混在した軍が戦いを始めていたところだった。
まだ大将である徳川家康は出てきていないのか、石田軍はただ前に向かって突き進む。ここに乱入し石田三成を討ちたいところだが、今の政宗には別な目的があった。
北條軍の裏を通るようにして戦場を避けると、見えてくるのは純白の軍勢。
軍神上杉謙信が率いる精鋭の軍は、甲斐の軍勢と互角以上に渡り合っている。動き始めてはいるが緩慢な動きで明らかに統率がとれていない長宗我部軍を軽くあしらい、側面から責めてくる幸村に軍勢を集め。
その采配ぶりには惚れ惚れさせられるが、ただ見続けていただけではここに来た意味がない。
新たな軍の接近に一瞬ざわめくが、すぐに落ち着きを取り戻した上杉軍。彼らの内に入り込み、まだ前線へと切り込む様子すら見せていない謙信の姿を見つけ彼へと馬を近づけていく。
「どくがんりゅう きたのですか」
「あっちは静かすぎてな……暇つぶしだ」
「みこひめはいきましたか」
「…………ああ」
「ことわりをやぶったむくいなのでしょうが ざんこくなものです」
その白皙の美貌を悲しみに曇らせ。
白馬の上で嘆く謙信の姿に、周囲の兵たちからため息が零れる。年齢どころか性別すら推察することすらできないこの存在とは何度か戦ったが、いずれは戦うとしても今は敵に回したくない。
軍神の側にいることで生まれる安心感の中、政宗は目を伏せる謙信に戦の状況を聞く。
「こっちはアンタが優勢ってところか」
「いまはけいじがさなだゆきむらと」
「オレも遊ばせてもらっても構わないよな、当然」
「てをさしのべるのですか さなだゆきむらに」
その言葉は、生前の鶴姫が政宗に向けた言葉と同じだった。
家康と自分と、そして雑賀孫一以外知らないはずの言葉を何故彼が。
背筋に寒気が走るが、誰がなんと言おうとも政宗は自分に止まることを許すことができなかった。この向こうに自分が認めた最高の好敵手がいる、そして彼は道を踏み外そうとしている。
一発殴ってでもそれを止めたい、そう願って何が悪い。
「あいつはオレのrivalだ」
それだけを口にし、謙信から距離を置き始める。
自分の動きを見て後についてくる騎馬兵たちに頷いてやり、戦に投入される時を待ち続ける幾多の兵士で構成された波を抜け。伊達政宗は一度に二つの軍を相手にしながらまだ余力を残している上杉軍の恐ろしさを肌で感じながら、ついでに上杉の戦力を確認していこうかと気付かれぬように周囲を見渡している時。
「あれは…………なんだ?」
残してきた小十郎と相対する位置に展開している毛利軍。
その中央からまるでこれから花でも咲くかのように、巨大な蕾のような黒く揺らめく物体が生まれ始めたのを見ることになるのだった。
「…………きれいな……おはなをたくさんつんで…………さまに……」
澄んだ声と共に、兵の首が地面にばらまかれる。
突如毛利軍の中央に現れた漆黒の羽衣のような朧にその身を包まれた美女は、周囲を取り囲む兵たちへとふわりとした笑みを向ける。艶やかな微笑みだというのに背筋を凍り付かせるそれに敵意剥き出しの視線を真っ向からぶつけ、毛利元就は総崩れになり背を向けて闘争し始めている兵へと叱咤混じりの命令を飛ばす。
「何をしている! 矢を射かけ足を止めよ! あれは火のある場所へとは近づいておらぬ……油を流し火矢を使うのだ!」
何が起こっているかはわからない。
だがここで自分まで場に呑まれてしまえば、兵たちは更なる恐怖に縛り付けられ無駄に殺されていくだけ。あれが現れた衝撃で兜は飛び、毛利の側にいた臣下たちは根こそぎ首をもぎ取られた。
徳川方があんなものを使っているという噂は聞いたことがないし、あの人の良い君主は味方だけでなく敵の被害も少ない策を選ぶだろう。
ならば毛利軍を襲わせた人物はただ一人。
「大谷め……同盟軍すら襲うか」
一時的とはいえ、あの男に手を貸したのは失敗だった。
地面から無限に湧き出てくる漆黒の腕に凄まじい勢いで兵たちが殺される中、生き残ったわずかな兵の中には油の入った樽を麗しき女の姿を纏った恐怖の方へと向けようとする者がいる。勿論そんな行為が目に入った瞬間、その兵ごと樽はたたき割られ破片と肉塊を生み出すことになるわけだが。
その周辺には油溜まりができあがっている。
あの近辺に追い込み、火をかければ一時的だとしても撤退させられるかもしれない。通常ならば簡単に成すことができるが、今は兵の士気が落ちているだけでなく絶対的な恐怖が目の前にいる。
戦友であった物の四肢に躓き、濡れた大地に叩きつけられ。
顔を上げれば血がふりかかる。
それがすぐに自分にも訪れるということを見せつけられながら戦える者など、そうはいないのだ。
輪刀で間断なく襲いかかる刃であり鈍器である闇を振り払いながら、思い出すのは片目の鬼のこと。あの鬼ならば決して逃げはしないだろう、瀬戸内の海を照らす太陽のような暖かく目映い笑みを部下の兵たちに見せつけ。
そして自分が先頭に立ち、戦い続ける。
側にいてくれたら、そして共に戦ってくれれば。一瞬だけそう思ってしまったが、ここにいない者を当てにしても意味がない。勝利は自らの知略でもぎ取るもの、それができたからこそ毛利は安芸を治めることを民に許されていたのだから。
だからこそ自分の下した命令に命を賭す捨て駒たちの損害をできるだけ少なくし、彼らを連れて戻るつもりだったのだ。
ようやく毛利の目の前までやってきたこの女が現れるまでは。
「…………このこたちは……おなかいっぱいなの…………でもいちは……」
「市……その名は魔王の妹のもの…………なるほどな、貴様が第五天魔王か……」
「ねえ……さまをしらない……? ずっと……さがしているの……」
「貴様の探し人など知らぬ、他の所へ探しに行くのだな」
「それはだめなの……ここにはおはながたくさん…………さまのためにつんでいくのよ……ちょうちょさんがおしえてくれたの…………おはなをたくさんつんだら…………さまにあえるって」
黒い蛇に絡まれているかのように死を運ぶ腕を全身に巻き付け、笑う絶世の美女の足先を七色に塗れ光る黒い粘液が汚す。あの周辺には兵がばらまいた油が広がっており、彼女はまだそれに気がついていない。
今火矢を放てば足止めになるが、それを彼女に気付かれたら彼女は逃げるか防ぐかしてしまう。
彼女に気がつかれずに兵たちに合図を行おうにも恐慌状態に陥り散り散りに逃げ去っていく兵たちを再度統率する暇もない。
彼女を撃退することができるのは自分だけ。
気付かれぬように周囲を見渡し、会話を引き延ばしながら火を探す。まるで水から生まれた陽炎のように割れた樽から漏れた油があちこちで炎を上げているが、それを取りに行こうとすればこの女は毛利の体を貫くだろう。
まさに万事休す、だが不思議と恐ろしさは感じなかった。
この暗く重い雲に覆われた空は、この濡れた大地を繋いでいる。そしてそこには大谷に恨みをぶつけ本懐を遂げているはずの男がいてくれるのだ。
あの男がやり遂げたのなら、自分も。
ずっと戦い続け、互いのことをある意味肉親よりも知り尽くしているであろう相手に負けたくないという思いが毛利を支えている。
そして、自分を助けてくれると言ったあの男ならば。
兵を救わずに逃げようとする自分を馬鹿にするに違いない。
誰になんと言われようともあの男、長宗我部元親にだけは嘲笑されるわけにはいかないのだ。
「…………きれいなおはな…………ここにもひとつ……きれいにつんで…………さまにあげるのよ……」
「我の首級は貴様にくれてやれるほど安くはない!」
上下左右関係なく、一斉に襲いかかってくる闇を払うにも限界がある。
鎧を削り取られ、肉を裂かれ。噴き出す血に手がぬめり、輪刀を振るう手に力が入らなくなっていく。腸を食らいつくそうと襲っていた大きな腕を避けるために一歩飛び退き、体勢と立て直そうとしたのがまずかったらしい。
「…………つかまえた……」
足首に絡み締め上げてくる細く頼りなげな黒い縛め。
一気に膝まで這い上がってきたそれが毛利を逃がす気がないことを知り、続いて手と首まで圧迫感に侵され。
「…………いちのおはな……たのしみね……」
夢見るように微笑む闇の女王の様な女の腕からするりと抜け出した闇が幾重にも重なり、毛利を串刺しにするために狙ってきたのを見ても。
毛利は決して目をそらそうとしなかった。
自分の失策で軍を瓦解させたのだ、その責は自分が負わなければならない。だから最後まで相手を睨み付け、ほんのわずかな隙であろうと兵たちを逃がすために稼ぐ。そうしなければ安芸の国を守る軍備がなくなってしまい、あの美しい国は周囲の軍の侵略に汚されてしまう。
自分の策で守ることが叶わぬのなら、せめて兵たちだけでも。
天魔王の名を抱く女は、毛利を嬲るつもりはなかったらしい。
心の臓を正確に刺し貫き、続いて腹へと突き刺さり。一気に命を奪うついでに体の鬱側を食らいつくそうと、かき回してくる。
「………………がっ…………あ…………ぁ…………」
体の内側から響く音が、やけに耳に響く。
視界が暗くなり、全身を押そう激痛はますます強くなるというのに。毛利の体はいつまでたっても地面に倒れ伏すことがなかった。
それを疑問に思う間もなく、毛利元就という稀代の謀将の意識はあっという間に内側から暗い尽くしてくる闇にかき消され。血を急激に失った事で生まれる寒さすら感じることなく。
「…………悪い…………遅くなっちまったな…………」
最後に思った男が自分を後ろから抱き止めてくれていた事にも気付かず、最後に大きく安堵の息を吐き。
この戦場で最も安らかに、逝くことを許されたのだった。
「だぁれ?」
「こいつを拾いに来ただけだ……」
「それはいちのおはなよ……」
自分を守ってくれる黒い物は、目の前の翡翠色の鎧を着た『花』をそれは喜んで食べ続けている。それを見ているとお市も嬉しくなるのだが、急に現れた片目の男はこの『花』拾いに来たというのだ。
何故。
どうして。
自分から奪い取っていこうとするのか。
この男も体中からおいしそうな匂いを振りまき、体のあちこちを綺麗な赤に染めていておいしそうなのに。
昔夜話で誰かが話してくれた、怖い生き物の様な顔で笑うのだ。
「だめよ…………さまのおはななの……それは……」
「あんたにとっては『それ』でもな、俺にとっては守ってやれなかった相手なんだよ……」
「…………いや…………だめ…………」
怖い生き物の名前は鬼。
それを思いだしいた市は、まだ食べたいと騒ぐ闇の腕を翡翠色の花から無理矢理抜き出し耳を塞いでその場に座り込む。汚い色をしたものがどろどろとしたものが膝を濡らすが、そんなことを気にしている余裕はもうなかった。
恐ろしい鬼は愛おしげに市が先に手に入れたはずの花を後ろから抱き止め、時折よろめきながら愛おしげに触れてやっている。
市にもそんな記憶がある。
大切な誰かにぶっきらぼうな声で愛おしまれ。
不器用な愛の告白を受け入れ。
そして…………どうなったのだろう、それは誰だったのだろう。
「………………さま……どうして……いちはおもいだせないの……?」
いつも側に誰かがいてくれたはずなのに。
顔を両手で覆いぽろぽろと涙をこぼすが、そんなことをしたって大切な人の顔を思い出すことはできないのだ。市を拾ってくれた男に言われるがままに動いてみても、何も思い出せないし何もいいことはなかった。
自分はどうすればよかったのだろうか。
鼻を啜りしゃくりあげていると、目の前の鬼から優しい声。
「あんたは……迷子って事か。なら、一緒に逝くか」
「そこには…………さまはいる?」
「ああ、あんたを待っててくれているだろうよ」
片目を眼帯で覆い、全身を赤に染めた鬼は翡翠色の花を抱いたまま口を大きく歪めてみせる。
その姿があまりにも頼もしかったのと、自信に満ちた姿が市の探している存在に似ていたような気がしたので。
「…………いくわ……いちも…………さまにあいにいくの」
「そうかい」
それがその男の最後の言葉、そして男の懐から出てきた中で炎が揺らめく金属製の小さな壺が自分の方へ飛んできたのを見つめながら。
市が考えていたのは、ようやく大切な人に会うことができる、それだけだった。
長宗我部の配下が官兵衛のために用意してくれたのは、最速を誇る戦車であった。
馬よりも早くあらゆる障害を破壊しながら進むことができるが、目的の場所まで一切止まることができない。長宗我部が作り上げたという奇っ怪な形をしたその戦車に乗り込み、下手したら落車してしまうのではと思う程の強烈な風を浴びないために体を思いっきり伏せ。
まだ未完成だからか屋根と壁がないそれに乗りながら、官兵衛はようやく外してもらえた枷を静かに見つめる。
これのせいでひどい目にあった。
重くて移動の度に疲れ果て、これを外したいと一日に何度も思ったというのに。何故か鈍くて重い鉄球に礼を言いたくてしょうがなくなっていたのだ。
おかげで三成を更に知ることができた、彼を愛せた。
どれだけ尽くしても、愛しても。決して官兵衛に振り向くことがなく、ただ一人だけを思い続けた三成。きっと今も家康の名を何度も呼び、彼との思い出を愛おしみながら。
戦い続けているのだ、家康に殺されるために。
彼と家康の争いの最中に間に合えば官兵衛の勝ち、間に合わずに三成が死を選んでいれば官兵衛の負け。普段の不運ぶりを考えると、それは分の悪すぎる賭でしかないのだが。
頼むから間に合ってくれ。
二人の間に割って入ることができないというのならば。
せめて三成が事切れる前に、どうしても。
彼に言ってやりたい言葉があるのだ。
風に飛ばされぬようその辺にある突起物にしがみつき、そしておおまかではあるか三成のいる方向へと舵を向けようとしてくれている長宗我部の部下たちに心の中で礼を言いながら。
大きく揺れ続ける戦車の上で、祈り続けていたのだった。
真田幸村は全てを理解していた。
三成が佐助を望んで殺したのではないということも、前田慶次が佐助を陥れようとして呼んだわけではないことも。だがそれがわかったから佐助が帰ってきてくれるわけではないことをも知っていたのだ。
彼は死んだ、自分ではなく前田慶次のために動いて。
自分のために死んでくれれば幸村は自分を責めるだけで済んだのだ。
未熟な己のために佐助が死ぬことになった、それだけ考えられたらどれだけ救われただろうか。
だが佐助は前田慶次のために死んだ。
自分だけなら逃げることもできただろうに、彼は慶次の身の安全を考えて大谷に自ら囚われることを選んだ。前田慶次が使えるべき主であれば賞賛されるべき行為、だがあの忍びの主はぬしのはず。それを何度も告げ幸村を追い込んでいった大谷は、こうも言ったのだ。
ぬしは佐助に捨てられたのよ。
前田慶次を選んだ忍びに、情を残すことなど無い、と。
だが幸村は佐助を忘れられなかった。
自分のために心を砕いてくれた、兄のような家族のような忍び。お前の忍びは忍んでいないと馬鹿にされたこともあった、佐助に怒られたことなどそれほど数え切れない程。
これからもずっと、一緒にいるはずだったのだ。
前田慶次さえいなければ、彼が佐助と親しくさえしなければ。
だから、佐助が生きているなどと言う世迷い言を言うこの男が憎い。
「死ね…………お前など……死ねばいいのだぁぁぁぁぁぁ!」
「幸村、落ちついて! 本当に佐助は死んでないんだって、今は島津の所に……九州にいて…………」
「そのような世迷い言、俺が聞くと思っているのか!」
幸村の双の槍を慶次は何とか受け止めながら、こちらには一切攻撃してこようとしなかった。
幸村の槍に貫かれぬように距離を置く上杉軍の兵たちと、自分に付き従ってきた兵たちがその周囲で争いを繰り広げていたが戦況はどう考えてもこちらが不利。幸村に従う、お館様の思いを継いでくれと言っていた者たちは、佐助の死を境に幸村に反感を抱くようになった。
佐助を殺したのは石田三成、だが配下の裏切りも知らずに放置して甲斐の名を汚したのは幸村。
そう陰で言っていた者たちを、幸村は大谷に言われるがままに切り捨てた。紅丸の赤い首輪を見る度にそれをこしらえた佐助を思い出したので、あの忠実な獣も屋敷の外へと追い出した。そんなことをを続けているうちに誰も幸村に逆らわなくなったが、捨ててしまったものはあまりにも多かった。
家族のようであった佐助。
自分を兄のように慕っていてくれた紅丸。
そして友であった三成。
宿敵として自分を認めてくれていた政宗すらろくに話もせずに追い出してしまったのだ、もう誰も自分に手を差し伸べてくれはしない。
だから幸村は嘆き、怒る。
思いのままに槍を振るい、憎しみをそのまま慶次へとぶつけるしかもう。
幸村の生きる道は残っていなかったのだから。
「佐助は真田に会える日を待ってる、だから…………っ」
「お前が佐助を殺したくせに、何を言うっ!」
「死んでないんだ!」
「…………」
何度打ち込まれても、その体に傷を増やそうとも決して反撃してこない慶次。
本格的に雨が降ってきたわけでもないのにぬめる地面に足を時折取られながら、口から吐くのは燃えるような息。一体どこから生まれたのか、もうそれすらわからなくなった憎悪を内に抱えたまま、漆黒の戦装束一式の幸村は吠え、そして槍を振るう。
「…………さえ、お前さえいなければ!」
「俺は佐助と約束した、幸村と一緒に迎えに行くってね。だから……俺もここで死ぬわけにはいかないんだ!」
「戯れ言を!」
幸村の双の槍を、慶次は己の大刀を大きく振り回すことで弾いていく。
柄で槍の穂先を跳ね上げ、体勢を崩した幸村を深追いすることなく幸村の次の手を待ち続ける。そんなことを続けていても何も変わらぬというのに、慶次は幸村を説得することを諦める様子はなかった。
「佐助は九州で待ってる、だから俺と一緒に行こう! まだやり直せる……佐助が待っていてくれるんだ、だからきっと……」
「やり直せるだと? お前に何がわかる」
「やり直せるよ」
慶次の体に刻まれた傷は、幸村のそれよりも多い。
だがその目から強く優しい光が消えることはなく、心を闇に落とした幸村を照らすかのように温かい眼差しを注いでいた。人としての大きさを如実にあらわしているその瞳の強さは、生涯を掛けて追い求めるべき好敵手を思い出させてくれる。
だがあの青き竜の鮮烈な輝きを受け止める資格を、今の自分は持っていない。
悲しみに目を曇らせ、憎しみに身を任せ。
慶次を討つためだけにあらゆるものを捨ててきたのだ。もし慶次の言葉が本当だったとしても、それを受け入れてしまったら。
佐助が死んでから自分のやってきたこと全てが、無駄になってしまう。
自分を友として信じてくれていた三成の思いも、自分が同じ高みに登るのを待っていてくれている政宗の思いも。そして自分を信じてくれていた甲斐の家臣達の気持ちも全て踏みにじったのだ。
信じるわけにはいかない、それを信じるのは幸村が死す時。
息を荒げ、何度も首を振って慶次の言葉を耳に入れないようにする。
「信じぬ! 何があろうとも……信じるわけにはいかぬのだ…………っ!」
「幸村……」
「お前さえいなければ良かったのだ……お前さえ……」
目から零れる涙を拭うことなく、ぼやけた視界で慶次に何度も襲いかかる。
それを交わす慶次の顔に困惑が滲み始め、長時間にわたる死闘が二人の手足から力を奪いつつあった時。
あっけなく終焉は訪れた。
命を燃やし尽くす勢いで戦い続けていた幸村と、こちらに刃を向ける時は幸村の槍を受け止める時だけの慶次の一方的な戦いは。
前田慶次の体を二本の槍が貫き、幸村の体に慶次の持っていた刃が突き刺さり。
大きな音を立てて倒れ伏した慶次の体の上に、幸村の体から零れる血が降り注いだことで結着を迎えたのだった。
「………………お……わった…………のか……?」
肩口から胸にかけてに刺さる巨大な刃は、幸村から凄まじい勢いで力を奪っていく。
最後まで幸村を殺さぬように気遣いながら逝った慶次の刃は、心の臓からそれた場所を貫いた。今なら手当をすれば助かるのかもしれないが、幸村が刑事の死を確認して最初に行ったのは泥の中に広がっていく慶次の血潮を見つめることだった。
鮮やかで鮮烈な紅の上で、慶次の髪を彩る飾り紐の端が揺れる。
この飾り紐の鮮やかな色合いを幸村は覚えている、いや……この色は幸村にとって大事な色だったはずなのに。
何故だろう、どうしてか思い出せない。
「仇は討ったぞ……佐助…………」
そんな言葉が口から出るが、それすら薄っぺらいものに感じてしまう。
血の味が広がりはじめる口内と、がくがくと奮え始める膝。全てをやり遂げたはずなのに感じる寂寥感と違和感、それを打ち消すために首を振ると額から流れ出た血が目に流れ込んできた。
途端に赤く濁り役に立たなくなった視界の中、考えるのは今後のこと。
前田慶次は殺した、佐助もこれで満足するはず。
それなのに、胸の中で何かが燻るのだ。
目指すものはこれではない、お前の求めていた高みは人を憎しみのままに殺して得ることができるものではないだろう?
そう教えてくれたのは、誰だっただろうか…………
まだ周囲では刀が打ち合わされ続け、人が無残に死に続けている。これが戦であり、幸村はその中で力を蓄え続けた。
ならば今しなければならないことは、また人を殺すことだろう。
遠くから響くのは騎馬の群れが生み出す轟音、そして慶次が死す直前に見た遙か遠くで突如生まれた巨大な炎の柱。確かあの方角には安芸の軍がいたはず、と一瞬思いはしたが。
幸村には関係のないことだったので、忘れることにした。
そのかわりに前田慶次の背に足を乗せ、力任せに槍を引き抜き。赤く霞んだ世界の中、全てを殺し尽くそうと決め。より強い音が響く場所へ槍を杖代わりにしてふらふらと歩み寄って行こうとした幸村を止めたのは、
「死体を踏みつけんのが、アンタの流儀だったか? 真田幸村」
忘れたくとも忘れられない、幸村にとって章がただ一人の男の声であった。
「…………政……宗……殿……?」
「これがアンタの望んだ結果なら……次はオレとの結着だな」
「政宗にそう言っていただく価値は……もう某にはございませぬ……某にできるのは一人でも多く上杉の兵を討つことだけ……」
「Shut up!」
声でしか確認出来ぬ政宗の厳しい語調に、幸村の歩みが止まる。
美しい青い竜は、常に天だけを見続けている。だからこそ自分と将来対等になってくれるであろう幸村を好敵手として認めてくれていた。今までそう思い続けていたのだが、それは少しだけ違ったらしい。
空を駆ける竜は、天だけを見つめていたのではなかったのだ。
「アンタはオレの物だ。価値がないって言うのなら取り戻せ、上杉の奴らを殺すために残していた力でオレと戦え! それが……アンタとオレの約束だろ?」
視力はまだ回復していない。
血が流れ続け、力が失われつつあることもわかる。
だが幸村の体は自然と槍を握り直し、声の響く方へとゆっくりではあったが槍を向けたのだ。
ただ一人の相手との、約束を守るために。
「それでこそ……俺のRivalだ」
政宗の満足げな声に、胸の中の何かが溶けていくのを感じる。命の鼓動と共に失われていく心が、政宗の声を聞くだけで輝きを取り戻していく気がする。
彼にそこまで言ってもらえるような物など、もう何も持っていないというのに。
「さっさと行くぞ……アンタとここで決着を付けたいんだがな、本陣に小十郎を待たせてる。アイツにアンタを預けて……オレは先に凶王狩りだ。アイツを倒して、オレは再び天へ戻る……そして傷を癒したアンタと決着を付け、次は家康だ」
「政宗殿……らしいで……ござるな……」
目から流れているのは、先程目に入った血潮なのか。
少しずつ回復していく視界、そこに映るのは蒼い輝きを決して失うことがない美影だった。幸村がが誰よりも焦がれ、そして求めた相手。
そして彼は、自分に向けて手を差し伸べてくれている。
「行くぜ、真田幸村」
「……………………は……い……」
ゆっくりと、彼に向かって歩んでいく。
佐助を失った、慶次も討った。もし佐助が本当に生きていたとしても、幸村が慶次を殺したことを知れば自分を憎むようになるだろう。
だから、幸村の内に残っているのは政宗との約束だけ。
全てを失って大切な物に気がつくというのも皮肉な話だ、そう思いながら小さく笑おうとして。
「筆頭、大変です!」
「どうした?」
「前田が裏切りました! 上杉の本陣に攻撃を仕掛けてます、こちらに来るのも時間の問題かと!」
「前田が……? どういうことだ?」
「わかりません、ですが勢いが凄まじく……」
「しょうがねえ、小十郎の所に戻るか。おい、アンタも行くぞ」
近づいてきた政宗にぐいと腕を掴まれる。
周囲は屍と煙に支配され、政宗と部下たちだけが動いている状態。政宗に肩を借りながら、ぬかるんだ大地に体を横たえている前田慶次の遺体を見つめ。
自分もすぐに後を追う。
その言葉を胸に抱き、遠くに見える前田軍の旗が近づいてくるのをぼんやりと眺めながら。
自分を置いていけば、政宗はもっと速く逃げられたのに。
政宗の馬の首に体を預けた幸村は、そんなことを思ったのだった。
「久しぶりだな、三成」
「そうだな、あの時以来か」
「お前に会えて儂は嬉しい」
「………………………」
幾多の自軍の兵を斬り、あの本多忠勝を一時的とはいえ撤退させ。
三成が北條と徳川、そして雑賀集の集まりを打ち破って家康の待つ本陣まで辿りついたのは戦が始まって数刻後のことだった。
その間に家康の耳に届いた報告は、この国を絆によって結びつけようとしていた家康の背筋を悲しみで震えさせるだけの重さを持っていたのだった。
鶴姫が立花宗茂に討たれ、その立花も自害。
そして上杉軍によって長宗我部軍と武田軍がほぼ全滅。
その後裏切った前田軍が上杉軍に背後から襲いかかり上杉軍も大きくその数を減らし、上杉軍の救援にやってきていた伊達政宗の軍勢も前田軍に巻き込まれ。
伊達政宗の死骸は、漆黒の戦装束を纏った真田幸村を庇うかのように事切れていた。
毛利軍の中央で謎の爆発があり、毛利元就の生死は不明。
そして前田家の軍勢がこちらに向かってこないようにと、ぼろぼろの体を押して出陣した忠勝がどうなったかすらわからない。
人が無駄に死に、嘆きが関ヶ原の大地を覆い。
それでも誰も止まることなく、死へと突き進んでいく。このような状況を起こさないために三成と戦う道を選んだというのに、どうしてこのようなことになってしまったのだろうか。
純白の陣羽織を血で染め、人を斬りすぎて刃が大きく欠けてしまっている刀を手に。同じく血と泥にまみれた虎を後ろに従え、三成は徳川の本陣へ一人でやってきた。
当然他の誰にも三成に手出しさせはしなかった。
火器や弓矢で狙い撃ちにしようとした者を三成がその様な物で止まるわけがないと言って止め、ただ一人で彼の前へと立つ。
たとえ誰がなんと言おうとも、三成だけは。
自分の手で止め、そして命だけは助けてみせる。
家康の前に立つためだけに千以上の兵を一人で切り捨て。
疲労の極みにありながらもそれをおくびにも出さないその姿に、家康の臣下たちからも賞賛のため息が漏れる。決して卑怯な行為は行わず、ただ真っ直ぐに己の力だけを信じて目の前に立ちふさがる討ち倒してきた三成を凶王と呼ぶ者はもういないだろう。
彼は一軍の総大将として、正々堂々と家康の目の前に現れたのだ。
それを喜んだのは家康だけではない、ぱたぱたと尻尾を揺らし赤い首輪を付けた白い巨体が嬉しそうに喉を鳴らしながら三成に従う泥まみれの虎へと近づいていった。嬉しそうに体を寄せ合う二匹を見て、三成の目が一瞬だけ和む。
「紅丸…………貴様…………何故ここに……」
「儂が預かっていた、詳しいことは……この戦いが終わってから話すとするか」
「では聞けぬということだな。私が貴様を切り捨てることでこの戦は終わるのだ、話を聞く暇などあるわけがなかろう」
「儂は話せると思っている」
会話の合間に、三成の体がゆっくりと前に倒されていく。
争いの合図とそれを受け取ったのか、泥まみれの虎の方が三成へと近づき。まるで別れを惜しむかのように、血に濡れた手を一度だけぺろりと舐めると。最後に一度だけ啼き、そして何度も三成の方を振り返りながら。
紅丸と体を並べ、骸の並ぶ地平の彼方へと向かい歩み去って行った。
それを見た三成はそれでいいとばかりに一度だけ頷いたが、それだけだった。ずっと付き従ってくれた一番の忠臣ともいえる存在の別れに感慨を抱く様子もなく、その目はただ家康だけを見つめ続け。
周囲を取り囲むようにして見守る徳川家の兵たちに一瞥すらくれてやることなく。
「死ねぇぇぇぇぇ、家康ぅぅぅぅぅぅ!」
光の矢のごとき速度で、石田三成は家康へと斬りかかってきたのだった。
受け止めれば手ごと切り落とされる、三成の斬撃はそれだけの力を持っている。それに対処するには、三成の攻撃をかわすのではなく。
「儂の話を聞いてくれ!」
正面から三成に攻撃すること。
凄まじい早さで大砲の弾のように突っ込んでくる三成は、直線的な攻撃に弱い。相手の攻撃を見切ることはできても、それを避けるには三成の体はあまりにも速度がつきすぎているのだ。
だから見切ることはできても、体の方向転換は難しい。
通常の兵の場合、三成の最初の一撃からまず逃げることを選択してしまうので、圧倒的な早さに負けてしまうのだ。過去何度も三成と稽古を繰り返してきた家康だからこそ、自分の喉元へと真っ直ぐに向かってくる刃から逃げることなく。
真っ直ぐに拳を突き出すことができた。
全力を込めた、だがけん制にしかならない拳での一撃を多分三成はぎりぎりでかわし、そして次の瞬間にはもう体勢を整えてくるはず。疲れ果てているはずの三成に同じ挙動が何回もできるとは思えない、動きが鈍ってきた時を見計らい彼の動きを止めなければ。
そう計算して拳を突き出した家康、彼がその瞬間見たのは。
これ以上ないほど幸せそうな、三成の微笑みだった。
どうして今そんな風に笑う。
目を見開いて三成に更に強く視線を合わせようとした家康が次に感じたのは、自分の拳が三成の体に突き刺さる感触。肉を突き刺し中の骨を砕き、愛しい人の体の内の臓物すら潰していく感触を味わいながら。
「…………いえや……す…………」
家康の拳を腹に受け、勢い余って遙か遠くへ飛ばされていく三成の姿を呆然としながら見ることとなった。
「三成! みつなりぃぃぃぃぃっ!!」
鞠か何かのように数度跳ねながら地面に叩きつけられた三成の体。
徳川兵のいない方向へとばされ、手から刀も飛び。ぴくりとも動かない三成の姿に、拳を突き出したままの姿で固まっていた家康の体がようやく動き出す。
三成は自分の拳をわざと体に受けた、家康に討たれて死ぬために。
どうしてそのようなことを、と思った時脳裏に浮かんだのはあの神社で離した時三成が最後に言った言葉。
すまない、と彼は言ったのだ。
それを長時間話せなかった事への詫びだと今まで家康は考えていたのだが、もしかしてあの言葉の意味は。
三成に生き延びて幸せになって欲しい、そう望む家康の気持ちを裏切る罪悪感から生まれた言葉だったのでは。
それに気がついた瞬間、全てが繋がった。
「…………最初から……儂に殺されるつもりだったのか…………」
兵たちの手前、泣くことはできない。
だから必死に笑顔を作り、崩れ落ちそうになる体を必死に支え。たとえ敵となったとはいえかつての友を弔いたい、周囲の兵たちにはそう見えるようにし。
家康はゆっくりと、駆け寄りたい気持ちを抑えて三成の方へと歩み寄っていく。
まだ三成は生きているのだ、きっと。家康が声を掛ければきっと三成は目を開け、そして。
先程の様に笑ってくれるはず。
生きてさえいれば、医師に診せられる。
そうすれば三成は体を癒し、また家康と共にすごしてくれるようになるはず。誰が反対しても、そのすべてをねじ伏せてやる。
三成さえ、生きていてくれれば。
口からこみ上げてきそうになる嗚咽を押さえ込み、もう少しで三成の顔を見ることができる距離へと。できる限りの早足で近づいてきた家康の目の前にその男が現れたのは、きっと必然だったのだろう。
泥まみれの虎と汚れを纏っていない虎を連れ、手を縛っていた枷は失われ。
目からとめどなく涙を溢れさせながら、黒田官兵衛は家康の前に立ちふさがるように立ち。そして三成の顔を家康に見せぬように、背を向けて座り込んだ。
「……官……兵衛……か……」
「遅くなっちまったな」
「よく……来られた……ものだ」
「長宗我部の所の戦車を貸してもらった……死ぬかと思ったがな」
「そう……か」
三成の声は耳を澄まさねば聞こえぬほど小さい。
体の内の骨がほとんど砕けてしまっているのだろう。壊れ物を扱うかのように優しく抱き上げ己の膝に三成を乗せた官兵衛は、三成の方へとそっと手を向ける。
官兵衛の背が邪魔して見えないが、きっと頭を撫でてやっているのだろう。
「貴様は……いつも…………だな」
「お前さんがいつまでたってもガキだからだろ。小生の言うことも聞かずに一人で飛び出しやがって……」
「す……ない……な」
「それがお前さんの決めたことだ、小生は従うまでさ。だがな、前も言ったがどうしても一言言ってやりたくてな……」
「……………………と……?」
途切れ途切れになっていく三成の声。
官兵衛の背を押しのけてでも話を、そのために拳に力を込めようとしていた家康を止めたのは。
官兵衛の心の底からの、涙混じりのねぎらいの言葉だった。
「よく頑張ったな……本当に……お前さんはよくやった」
「…………そ……か……」
「偉かったぞ……お前さんは……」
大の大人が涙で顔をぐしゃぐしゃにし、時折鼻水を啜り。
頭を大きく振りながら何度も三成のかすかな声に頷いてやっている姿は、事情を知らぬ人間には滑稽に映るかもしれない。だが三成の戦いを最後まで見守り、彼を守り続けた官兵衛だからこそ。
三成の最期を看取る権利があるのだ。
官兵衛が持ちかけてきた三成を生かす策を受け入れることなく、彼が三成を思っているという理由で拒否した。そして今も三成の思いに気がつくことなく彼をこの手で殺してしまったのだ。
そんな自分が三成に何を言えるというのか。
徐々に小さくなっていく三成の吐息、そして声。それら全てが完全に消え去るまでのわずかな間を三成と共に過ごすことができた官兵衛は、最後に一度だけ三成の顔に己のそれを寄せると。
三成の異常にぐにゃりとした体を抱き上げ、悲しげに泣きながら近づいてくる虎たちと共に家康の方を向いた。
「三成は……」
「死んだ」
短い言葉にこもっているのは、三成を殺した家康への憎しみ。
だが官兵衛はそのまま家康に向かってくることはなかった。愛おしげに腕の中にいる三成の体を見つめ、家康の背後にいる徳川の兵たちを見回し。
憎しみを押し殺した声で、自分に言い聞かせるかのようにそっと呟いた。
「三成を……ちゃんと弔ってやらないとな」
「…………………………」
「お前さんは国作りごっこを楽しんでりゃいい。小生は一生分の楽しい思いをさせてもらった……後の人生は三成の墓の掃除でもして生き続けるさ」
吐き捨てるかのようにそう言った官兵衛は、それが最後の言葉だとばかりに家康を最後に睨み付け。砕け汚れきった鎧を身に纏った三成を腕に抱いたまま、二匹の虎を連れ家康の手の届かないところへと歩み去って行ったのだった。
後に残されたのは、歓声に包まれる兵と絶望を顔に出すことすら許されない家康。ずっと降り続けていた霧のような細かい雨、それは家康の顔を濡らしはするが涙の代わりに頬を流れてくれることはなかった。
多大な犠牲の上に三成に勝ちはしたが、まだ前田家との戦は終わっていないのだろう。
遠くで揺れる前田家の旗が徐々に近づきつつある状況で、家康は浮かれ始めている兵に声を掛け前田家の鎮圧へと向かわせる。
三成を殺したのに、まだ戦わなければならない。
その事実に体を震わせ、自分の選んだ道が確実に間違っていたことに嘆く。
三成を救い、この国から戦をなくす。
そして三成を幸せに。
そう誓ったはずなのに、どうしてこうなってしまったのだろうか。
「……儂は……儂は……」
首の辺りでわだかまっている布を両手で引き寄せ、頭へと乗せる。
こうすれば兵たちに家康の顔を見ることはできない、今なら存分に泣くことができるはず。前田家迎撃の為に動き出した兵たちを見つめながら、家康はふらふらと濡れた大地を進んでいく。
三成との戦いで疲れたのだろう、そう判断した兵は家康に温かい眼差しを向けて陣を整えるために走っていくが。
家康にはもう戦う力は残されていなかった。
「………………………」
黒い雲の間から一条の光。
それが天から伸びた救いの光のように見え、家康は一度だけその言葉を呟く。
「………………たら……それができるのならば、儂はどんな代償でも与えよう。だから三成を…………」
三成を生き返らせてくれ。
その言葉を口にした次の瞬間、声のようなものが聞こえてきた気がした。
どのような代価でも、後悔はしないか。
長く険しい道を歩むことになるが、それでも。
頭の内に食い込んでくるような力を持つ声だというのに、周囲を走り回る兵たちの誰も反応していない。その声が自分だけに聞こえていることを知り、それが自分に返答を求めていることを理解した家康の答えは一つだけだった。
相手がどのような代償を求めようとも、三成を救えるのなら。
その言葉が自分に問いかけてきた誰かに届いたのかはわからなかったが。
空から降り注ぐ光が一瞬だけ光を増した、家康にはそれが了承の証の様に感じられ。崩れつつある精神を何とか奮い立たせ、近づいてくる前田家の旗に目を向けることなく。
その光に向かい手を差し伸べながら、最初の一歩を踏み出したのだった。
<輪舞~偽~ 了>
<輪舞~真~ へ続く>
_________________________________________
終わった……ということで、ようやく折り返し地点に到達です。
~偽~は官兵衛さんのターンでしたが~真は~官兵衛さんのターン……あれ? いや性格には家康さんのターンだけど官兵衛さんがますます美味しいポジションになっていく予定……
そんな感じで官兵衛さんバッドエンドの予定が官兵衛さんノーマルエンドくらいになって終わった~偽~でしたが、原稿用紙に換算して1000枚ちょいという凄まじい枚数になってしまいました。
色々と皆様言いたいことはあると思いますが……とにかくここが折り返し地点です、ここから怒濤のハッピーエンドに向かって突き進みますよ!
「うずみさんの書く物は誰かが死にますね♪」と可愛らしく応援してくれたみっしさん、続き待ってますと言ってくださった宇田様、そしてマイエンジェル護星天使ニカさん……もうとにかくみんなありがとう、そしてありがとう!
もっと言い訳というか裏話したかったんですが、今日は疲れたのでダウン……また後日入稿してから書きます。ただ一つ今書くとしたら……今回の関ヶ原での一番の勝ち組は毛利さんかと……あの人は最後の最後で救われてあの世に行けたと思っております。
多分、~偽~のペーパーは毛利さんと長宗我部さんになる予定。
ということで、実は書き下ろしももう書き終わっているので、あとは修正だけという状況で……寝ます、疲れた。
BGM「もしも君が願うのなら」
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色々説明
拍手現在豊臣家転生パロ中学生編入ってます
(現在2本 家三 チカナリです)
注意事項
・フリーリンクじゃないです、基本的にはリンクはお断りしています
・ひっそりこっそりが信条なので、黙々と
・捏造、not公式のこばなしが多いので、スルー推奨
ラキドでは幹部全員を溺愛しておりますが、ベルナルドとイヴァンは特に偏愛。ばさらは家三とか奥州の愉快な仲間達と毛長がメインです。うずみさんが現在官三とか官佐にずっぽりとはまり中。
基本は、愛想のかけらもない「ネット怖い~」の書き手が二人で色々書いている場所です。
書いている人
みっし
・生真面目で堅物でムキムキな男性と一見そうじゃなくても根は真面目極まり ないキャラをこよなく愛している、がんかたうるふの片割れ。編み物とお菓子作りが趣味という、第三者曰く可愛らしい一面を持つ反面、パニクると踊ったり、オロオロしだして周囲は見ていて楽しいらしい。荒ぶる舞は、職場の名物だったりする……らしい。
イヴァンちゃんと片倉さんとシズちゃんとスカイハイさんと陛下を思いっきり愛している。好きなアニメは銀魂と最近はFate/zero。型月ファンというよりは元から虚淵ファンでうずみさんからオススメされまくった末にようやっと手を付けて完読した。ライダー組おいしいです。エクシリアではダントツで陛下が好き。陛下が使用可能になる完全版があるなら複数買いしても構わないとのたまう日々。バサラの好きキャラは片倉さん一強だったはずなのに最近はアニキも熱い。かっちり着込むキャラがすきだったはずなのにいきなり露出度が高いキャラを好きになったのは何故か悩む日々。二次元の向かう愛と同じぐらい甥っ子への愛を叫んでいる気がしてならない。
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うずみ
・相方を愛しすぎている変な人。趣味は畑仕事に漬け物作り、好きな物は不幸属性の美人(男女問わず)。ばさらでは石田さんと黒田さんをこよなく愛していたり、赤い子めんこいにゃぁとたまに叫んでいる。ついったのフォローは下 のアイコンから。
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